マルタに移住してから強く、
「美の基準は、絶対のものじゃない。あらゆる美のカタチが存在してる」
って、感じるようになった。
それぞれの、美しさ
マルタには、移民の人がたくさん住んでいるから、
ラテン系、スラブ系、アフリカ系、アジア系とか、
本当に見た目が、みんなバラバラなの。
日本人だって、見た目はみんな違うけど、
でも、その”違い”のレベルは、マルタと日本では、全然違うよね。
目の色、肌の色、顔の骨格から、みんな全然、違うんだもん。
美しさの種類も、全然違ってる。
日本に根付いた「美人の定義」
日本でも徐々には、「美人」の定義の幅が広くなってきているかもしれないけど、
でも、美人でモテる人って言ったら、
お人形さんみたいに細くて、可憐な白い肌で、くりくりした大きな目の人が、
美しさの基準のスタンダードなんじゃないかな。
あんまり、「ユニークさ」って、評価されなくない?
富永愛さんとか、満島ひかりさんとか、秋元梢さんとか、「ユニークさ」が魅力の美人として評価されている人もいるけど、
ヨーロッパと比べると、「ユニークさ」への評価は低いような気がしてる。
「ユニークさ」が評価されるヨーロッパ
マルタで生活していると、「ユニークさ」が評価されていることを感じるの。
実際に、「Chichiはユニークな顔をしてて、とっても素敵」って言われたことはなん度もある。
マルタでモデル活動をしているんだけど、モデルになれたのも、
「スタイルがいい」とか、「美人」とかって理由じゃなくて、
「顔がユニーク」「笑顔がユニーク」「湧き出るエネルギーがユニーク」「ポージングがユニーク」ってことが大きい。褒めてもらえる言葉が、そうだから。
日本だったら、このスタイルとこの顔では、「モデルでは、ないよね」って言われたいたと思う。
でもヨーロッパでは、そこが”美の基準”じゃないから、
”ユニークなChichi”を、評価してもらえるの。
ユニークさって?
ユニークさって、何?って聞かれると、ちょっと難しいけど、
簡単にいうと、自分らしさ。
自分らしさって言葉はよく言われる言葉だけど、
自分らしさって、何?って聞かれたら、
それは、表情やエネルギーなんじゃないかな。って、思う。
”人とは違う、特別な顔をしている” ってことがユニークなわけじゃなく、
その人の経験や意志、パーソナリティーなどから生まれる顔の表情や、全身から溢れるエネルギーや目力が、
その人をユニークな存在にするんだと思う。
✍️ちなみに、「目」はとっても重要だと思う。

自分色の、美を
マルタの環境は、ありがたいことに、”自分色の美”を追い求められる。
お腹でてる、足が太い、鼻が低い、みたいな感じのジャッジはされないし、
マルタに住んでいる人たちは、それぞれのカタチの美があることを、知っているから。
外見に限らず、生き方についても。
どんな生き方をしていてもジャッジされはしないし、
いろんな生き方があることを、彼らは知っているの。
そんな環境がとっても心地いいし、
自分らしくありたい。って、強く思うことができる。
そして、他人に対しても、
その人の美しさに敏感に気づけるようになって、肯定的になることができたように思う。
ユニークさを
ユニークさを追い求めても、ユニークさは手に入らないとは思うんだけど、
でも、マルタに来てからはもう、世間で言われるような’美の基準”は、気にしない。
日本にいたときは、エラについていじられたことがあったんだけど、でももう、他人の評価基準で自分の一部を嫌いになることはないし、
年齢に相応しい格好よりも、自分の魂が上がるような格好をする。
そして、中身を磨く努力をして、自分がしたい生き方をして、
内面や生き様のユニークさが、外見へと自然と現れるのを待ちたい。
どんなユニークさを手にした女性へと、歳を重ねるごとに変化していくのか。
それがちょっと、楽しみでもあるの。
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