こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
日本に住んでいたときは、キャリアとか人間関係でたくさん悩んだし、
マルタに来てからは特に恋愛で、たくさん悩んだ。
そして、今感じているのは、
私の人生の価値観って、『感じ”切る”こと』なんだなって。
感じ切りたかった
マルタでの恋愛でいうと、
自分が心から納得いくまでは、相手の男性のことを、切り捨てなかったの。
相手の気持ちがないのに追いかけるとか、相手の気持ちを無理に変えようととするってことじゃなくて、
切り捨てなかった。
相手にスペースをあげて、放っておいて、
そしていつの日か、戻ってきてくれることを信じてた。
友達にそのことを話すと、
「はっきりしない男は、切り捨てなよ」とか、「Chichiに傷ついてほしくない」とか言われて、
すごく嫌な気持ちが残った。
その嫌な気持ちが何なのか、うまく言語化できなくって、自分でも「なんでだろう」って思うこともあったんだけど、
今ははっきりと分かったような気がする。
私は、何に対しても、”感じ”切りたい”んだなって。
傷ついたとしても
例え傷つくことになったとしも、
彼への愛を感じ切りたかったし、
辛い想いや悲しい想いをしたなら、そのネガティブな感情も全て、
”感じ切りたい”。
私を攻撃する相手、振り回そうとする相手なら、
自分を守るため、自分のことを愛するために、自分を大切にしない相手のことは一切排除するけど、
でも、そうじゃないんだとしたら。
相手の弱さ、未熟さからくるものであるなら、
私は相手を責めずに、
自分の気持ちが心の底から、「もうこれで終わりだな」って納得するまでは、
今ある感情を、感じ切りたいの。
全てが、人生の一部で
失恋を少しずつ受け入れらるようになってきて、
その失恋が、過去のものとなった今。
あのときの辛い時間も、私の人生の一部であって、
そして今はすごく、その辛い時期のことも、愛してる。
今も、悲しい思い出ではあるんだけどね。
でも同時に、美しくもあって、
人生であんなに辛くて、涙が止まらなかったことに、
「私は感じ切ったな」って思えるから、すごく納得してるの。
何かを感じ切る機会って、人生でそんなに多く起こることじゃないじゃない。
これって、すばらしいことだと思うの。一生懸命に生きた、証でもある。
そこまで感じ切れた自分、真摯に向き合った自分を、優しく包んであげたいって思う。
愛する自分、人生に
そして、
そんな自分のことを、人生のことを、
もっと愛せるようになったように思う。
愛おしいっていうか。
後悔はひとつもなくって、むしろ、褒めてあげたいの。
痛みも含めて、すべてを感じ切って、
そして、受け入れられるほどに心が明るくなったとき、
私たちはもっと、自分自身のことや、人生のことを、愛せるようになるんじゃないかな。
私はまだまだ未熟だから、
痛みが訪れたときは崩れ落ちるし、痛みを癒すためにすごく時間がかかるんだけど、
でも。
”感じ切る” ってこと。
私の人生には必要だって思ってるから、
いつだってまた立ち上がれるって信じて、
感じ切って、私の人生を、生きていきたい。
コメント