マルタで生活していて。そして、マルタでの友達(いろんな国の子がいるよ)と接していて、
ふと、思うことがあるの。
「あれ、謝らないんだ?」みたいな、ちょっとした違和感。
大した問題ではないし、相手が悪いことをしたとは言えないんだけど、
ちょっとした違和感というか、不快感というか、
何か煮えきれない思いを抱えることが、あるの。
相手の、勘違いで
例えば、先日の話。
プチ会議をすることになっていて、友達の家に行ったら、
「あれ、今日はChichi、パソコン持ってこなかったの?」って言われたのね。
パソコンを持ってこなきゃいけないなんて聞いてなかったから、
「え、パソコン?持ってこなきゃいけなかった?」って聞いたら、
「前回は、持ってきてたじゃん」って。
持ってきた記憶が全然なかったから、
「持ってきてないよ」って言ったら、
「持ってきてたよ」って、自信満々に。
もう1回考えたけど、絶対に持ってきてなかったから、
「うううん、絶対に持ってきてないよ」
って、今度はちょっと強めに言ったら、
「あ、そっか。前回は私の職場のパソコンを使ったのか」
って。
「ごめん」は、なし
そのあとは、何事もなかったかのように、会議を続けた。
まぁ、解決したから、”いいと言えば、いい”。
それに、勘違いすることは、全然悪いことではない。
でも、私の中では、ちょっとしたモヤモヤが残ったの。
「持ってきてたよ」って強めに言われたときは、一瞬嫌な思いをしたし、
「持ってきてないよ」って言っても信じてもらえなかった時も、一瞬だけど嫌な思いをしたのに、
「『ごめん』の一言は、ないんだ」って…。
日本人の間のやり取りの場合は大抵、
「あ、ごめんごめん、私の勘違いだった」みたいな会話に、ならないかな?
「謝罪」に対する”文化”の違い
「謝らないんて、なんてルードュなの?!」って責めたいわけじゃなくって、
これはもう、”文化の違い”なんだな。って、感じてる。
日本での「謝罪」に対する取り扱いって、
「ごめん」っていう気持ちだけじゃなくって、相手への寄り添いとか、ポライトさとか、そういうものも示してるよね?
自分が悪くなくても
例えば、誰かにぶつかられたとして。
「ごめんなさい」って言われたら、
ぶつかられた本人も、「ごめんなさい」って言っちゃったり。
「こんなところにいて、ごめんなさい」っていう謝罪の気持ちも、少しはあるかもしれないけど、
それよりもむしろ、
「気にしなくて大丈夫ですよ。こちら側にも、落ち度があるので」みたいな、
相手への寄り添いの気持ちが含まれているような気がするの。
日本以外では、
「謝罪」=「自分が悪いことをしたから」
の国が、多いけど、
日本では、それ以上の意味も、持っているって思うの。
だから、他の国と比べてより気軽に、「ごめん」が使われたりもする。
誇りに思う、日本の謝罪精神
正直、日本で暮らしていた頃は、
日本の『謝る文化』が、あまり好きじゃなかった。
ペコペコしているみたいで、気弱そうで、かっこよくないなって思っちゃってて。
でもね。今は、誇りに思うの。
”自分が嫌な思いをしようと、それよりも相手のことを敬える精神”って、
とっても素敵じゃない?
実際、「ごめん」って言ってもらえるだけで、気持ちがスッキリすることは、よくあるから。
気軽に謝ることができること、
そして、自分が悪くなくても、相手を思って謝ることができることは、
日本人のとっても素晴らしい点だって、今は強く、思うの。
🎵TikTokでも🎵
「ChichiのLearning English」というTikTokコンテンツで、
このことについて簡単に話してるので、
TikTokコンテンツにも遊びに来てね🎵
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