世界のものを、2つにカテゴライズしない。人生をもうちょっと、愛せるように

こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼

 

Threadsを見ていたら、

「良い人/悪い人。正しい人/正しくない人みたいに、物事を2つに分けようとする人は、鬱になりやすい」

っていう内容の投稿が目に入っきて、

 

自分について、ちょっと考えさせられたの。

 

「私、けっこう、2つに分けてるかもしれない」って思って、

これって、悪いこと?良いこと? この癖は、やめた方がいいの?

って、自問自答し始めちゃって。

世の中を、2つに分けてた?

例えば友達で言うと、こんな感じに、2つに分けてるかもしれない。

友達を2つに

「この人は、いいリスナーじゃないから、相談するのはやめる」

「この人は、ジャッジメンタルな人だから、一緒に映画は見ない」

とかって、

ある種、友達をカテゴリー分けしてる。

 

友達になる前の段階でいうと、

「この人は、厳しい(そうな)人だ。きっと合わないから、友達にはならない」

「この人は、自分勝手な人(に見える)だ。友達にはなりたくないな」

とかって、

ある瞬間の一部を見て、カテゴリー分けして、

自分の苦手要素を持ったカテゴリーの人間は、受け付けないようにしちゃってる

って、思ったの。

世の中のことも、2つに

世の中のことも、2つに分けちゃっているときがある。

 

「私は全然、成功してない」

とかって、ちょっと気持ちが落ちるときがあるし、

 

親に全く何もしていないわけではないのに、

「私は、親孝行していない悪い子」

って、自分を悲観的に見ちゃうことも。

2つに、分けきれない

でも、今回見たThreads投稿によって、考えさせられた。

世の中のものって、2つに分けきれないことの方が多いよな。って。

友達については

友達については、

私も含め、人間って、色んな面があるから、

どの面が強くなって、どの面が弱くなるかって、

その人の状況や心境、そして私との対峙の仕方によっても変わってくるはずで。

 

カテゴリー分けするという行為は、

2人の関係性のポテンシャルを潰してしまう行為なのかも?

って、今回思ったの。

 

実際、ふと相談した人から、すごく励みになる言葉をもらうこととか、

何度か話しているうちに、「あれ、この人と話すの、心地よいかも?」って変わったことがあって、

その人が持っているどこに触れるかによって、そして、自分の態度や心境によって、

得られるものや感じられるものって、全然違ってくる。

 

”人間には、色んな面があるんだ”。ってことを心の隅に置いておいて、

あとは、自分の直感というか、心というか。

 

例えば、こういうことってない?

「ずっと会っていなかったあの人に、急になぜか、会いたいな」って思うこととか。

頭で考えず、自然に任せて、会いたいと思う人に会い、話したいと思う人に、話す。みたいな行動が、

けっこう大事なんじゃないかなって思ったの。

カテゴリー分けせずにね。

世の中については

世の中のことだって。

 

例えば、何が成功で、何が成功じゃないのかなんて、分からないはずで。

ある部分を切り取れば私は成功者になれるし、できていない部分を聞き取れば、成功者じゃなくなる。

 

過程にフォーカスすれば、成功者になれることだってあって、

例えば、「周りを明るくする人」「癒しを与える人」「励ましを与える人」など、

”何を成し遂げた”じゃなく、”何をしているか”によっても、人は、成功者になれるはずだよね。

 

物事を2つに分ける必要なんて、ないのかも。って思ってきたの。

世界をそのままの姿で見ること

私に必要なのは、”ありのままで見る視点”なのかも。って、思い始めた。

 

「この人は、こういう人だ」とかって、何かのレッテルを貼るんじゃなくって、

ありのままに、見る。

 

「今すごく、ピリピリしてるオーラがあるな(「ピリピリしてる人」じゃなくって、今日はその傾向が強い)」とか、

「(シャイでコミュニケーション能力が低いと思っていたけど)堂々としてて、話の内容が面白い人だな」とかって。

 

これが良い例かは自分でも分からないんだけど、

要するに、”その瞬間の相手を、偏見なしに、ありのままに見る”ってこと。

細かいことを言うと

ちなみに、

全ての人において、カテゴリー分けはしちゃいけない!って思っている訳じゃなくって、

「この人は、こういう人」って決めておいて良いケースがあるとも思ってる。

 

例えば、

「この人は豊富な知識と経験値があるから、問題ごとを解決したいときは、この人に聞く」

とか、

「この人と一緒にいるだけでエネルギーがもらえるから、元気になりたいときには、この人に会う」

みたいな感じのカテゴリー分け。

その本質って、その人そのものとも言える、基本的には変わらないものだし、

カテゴリー分けすることで、自分にとってのメリットになってるから。

気楽に、生きるためにも

2つに分けること、カテゴリー分けすることって、

けっこう、自分をレイジー(怠惰)にする行為とも言えるよね。

例えば「良い人」ってしちゃえば、細かいところに目を向けて、いろいろ考える必要がないんだもん。

 

でも、「良い人」「悪い人」みたいな、2つの分け方をするのって、

実はすごく難しいことだし、(判断の基準を考えるが難しい)

 

2つに分けないことによって、より見える/気づけるものがあるから、

そのほうがもっと、人生を楽にも生きられるのかも?って、思ったの。

 

何かに当てはめるんじゃなくって、

”ありのままを、見る”

ってことに、しばらくは注力していきたい。

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