「他人に迷惑をかけない」っていう考え方って、
日本の教育の中で培われる、世界では独自的な考え方だよね。
「他人に迷惑をかけない」って考えのおかげで、平和に暮らしていけることもあるとは思うんだけど、
私はこの、「他人に迷惑をかけない」って考え方のおかげで自分を苦しめちゃうから、好きじゃない考え方なの。
すぐに、申し訳ないと
ちょっとしたことや、自分が悪くないことに対してもすぐ、
”申し訳ない” っていう気持ちになっちゃうんだよね。
”申し訳ない” っ感じる必要はないのに。
例えば、扉が閉まりかけているエレベーターに乗り込んだとき、
マルタの人たちなら、「(乗せてくれて)ありがとう」って言って乗るのに、私はつい、「Sorry!」って言って乗っちゃうの。
体調不良で早退するときや、「残業できる?」って聞かれて断る時でさえ、
マルタの人たちは、「Sorry」って言わない。
体調不良なら、仕事をしないのは当たり前だし、残業できないのは、自分のせいじゃないから、
「Sorry」って言わないんだと思うんだけど、
日本文化で長く育った私は、「Sorry」って言っちゃうんだよね。
この前、体調不良で仕事を早退しちゃったときも、すごく罪悪感が残っちゃった。
周りの同僚はいい人たちで、誰も責めるような言動はしないし、むしろ「帰った方がいいよ!家でゆっくりしてっ」って言ってくれたんだけど、
どうしても私は、「迷惑かけちゃって、申し訳ない」って気持ちになったの。
罪悪感より、感謝できたら
もし私も、マルタの人たちのように、
”申し訳ない” って思うことが減ったら、その分もっと、ストレスなく生きやすいんだろうなって、思う。
もちろん、自分が”悪いこと”をした場合は。
遅刻して1時間も相手を待たせるとか、相手を怪我させちゃうとか、自分の過失で相手を困らせることになっちゃったら、
”申し訳ない”って思うべきだけど、
扉が閉まりかけているエレベーターに乗り込むくらいの些細なことなら、
罪悪感じゃなく、「乗せてくれてありがとう」っていう感謝の気持ちを持てた方が、
気持ちよく生きられると思うの。
支えてもらうときも
手助けしてもらうとき、与えてもらうときも、
”申し訳ない”って気持ちは、いらないよね。
例えば友達が、「新商品のクッキー、買ってみたんだぁ」って、クッキーをくれるとき。
”申し訳ない” じゃなくて、
”ありがとう” って、思うべきだよね。
私は正直、こんなときでさえ、”申し訳ない”って思ってしまうような考え方だったの。
だから、本当は欲しいのについ、「大丈夫だよ(要らない)」って断っちゃうことさえあった。
「ありがとう!私も食べてみたかったの」って、感謝の気持ちを大いに示した方が、
相手にとってもそれは、喜びにつながるはずなのにね。
「他人に迷惑をかけない」じゃなくて
マルタ(ヨーロッパ)人たちは、「他人に迷惑をかけない」っていう考え方じゃなくて、
「相手を尊重する」っていう考え方のような気がしてる。
📝そのことについての別記事は、こちら
「相手を尊重する」っていう考え方って、素敵だよね。
尊重する側も、される側も、気持ちがよいんだもん。
私も、「他人に迷惑をかけない」じゃなくって、
「相手を尊重する」っいう考え方を持てるように、
少しずつ自分を、変えているところなの。
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