こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
「この新人、全然使えないじゃん」っていう会話を、
日本人の友達が働く会社(日本の会社)でしていた。って聞いて、
この前すごく、嫌な気持ちになったの。
日本の会社って
そういえば、マルタで働いてみて、
日本の会社について思うことは、
日本って、すごく、”ジャッジメンタル”。
「この新人、全然使えないじゃん」って表現だって、
すごく、ジャッジしちゃってない?
相手に対して、”仕事ができる・できない”の物差しで見て、
その新人の子を、評価しちゃってる。
マルタでは、仲間
マルタで働いている私の会社では、そんな社風は全くないの。
すごく、フラット。むしろ、みんなが友達みたい。
何かミスしちゃったとしても、ジャッジメントじゃなくて、
「大変だったね。大丈夫?」とか、「気にしなくていいよ」とか、
そういう態度。
急に体調が悪くなって、帰った人がいたとしても、
「お互い様だよね」って態度で、責める人はいない。
”チーム”でもあるなって、感じてる。
本音を言い合う
だからなのか。
同僚とは、友達みたいに本音を言いあえちゃってる。
「今日すごく、1日が長く感じる、辛い〜」とか、「あーー、今日なんかやる気出ないな」とか、
そういうことまで。
日本の会社だと、本音が出過ぎで言いにくいことまで、
私の会社ではなんだって言えちゃう。(マネージャーに対しても)
そして、そういう友達同士みたいな会話は、
入社した時期に限らず、どんな同僚ともできるの。(できる空気がある)
本当、学校の同級生と話しているみたいな感覚。
チームマネージャーも、ジャッジメンタルじゃなくすごく身近な存在で、
話しかけやすいし、どんな意見にも親身に耳を傾けてくれるし、
だから、強制されている感とか、押し込められている感とか、
そういうものが一切ないのも、日本の会社と違うって感じるところ。
日本では、仕事の負担が増えるせいで?
これは、あくまでも私の仮説なんだけど、
日本の会社では、「仕事のパフォーマンス量+=仕事の給料」 って考え方じゃない事が、
ジャッジメンタルな社会文化をつくっちゃってるのかな?
とも、思う。
日本の労働環境では、仕事の給料以上に仕事のパフォーマンスをすることが求められているし、
むしろ、給料の額って、パフォーマンスとは関係のないものって、認識があるよね?
給料をいただいているんだから、できる限りの仕事をする。(給料の額に関係なく)
みたいな。
仕事ができない人がいると、その分自分が仕事をしなくちゃいけなくって、
でも、仕事をしても給料が増えるわけでも、何も得する事がないから、
日本の会社の場合は、怒りの矛先が、自分に迷惑をかけた人に向いちゃっているのかもしれない。
マルタでは、パフォーマンス=給料
マルタでは、もし、仕事ができない人がいたとしても、
それは、その個人の責任。
冷たい言い方をすると、その人の給料が上がらないだけで、他の人にはあんまり、関係ない。
”その人は、その人”。”私は、私”。なんだよね。
部署や会社によっては、多少なりとも影響するところはあると思うけど、
それでも、日本よりは、影響は少ない。
仕事をした時間=給料 にしっかりとなるし、
パフォーマンスが上がれば、きちんとボーナスになる。
だから、”自分のこと”に目が向いていて、
”他人をジャッジすること” には、あんまり目が向いていないような気がしてるの。
ジャッジメンタルは、悪でしかない
私は正直、日本のジャッジメンタルな社会が大嫌い。
日本の好きなところはたくさんあるけど、このジャッジメンタルカルチャーは、本当に本当に大嫌いなの。
何も、いいことがなくない?
ジャッジされている側は、居心地が悪くて余計に仕事のパフォーマンスを上げられないし、
ジャッジしている側の心理は、ものすごく醜いような。
離職率が上がったり、下の子が育たなかったり、モチベーションが下がったりと、
会社にとっても、いいことはないように感じてるの。
フラットな関係の職場を
日本でも、マルタやヨーロッパ。そして、おそらくアメリカも。
そんな、フラットな関係の中で仕事ができる職場環境が、日本の社会にも訪れることを、
切に願ってるところ。(今のところ、日本の会社ではもう、働きたくないな…)
日本人の考え方とか、職場に根付いたカルチャーとか、給料の仕組みとか、
いろんなものが関係しているから、すぐに変わるのは難しいと思うけど、
私たち日本人はもっと、他の国の働き方について、学んでいきたい。
日本人はすごく真面目で、責任感があって、スキルもあって、優秀な人材もいるんだから、
もったいないとも思うの。
仲間で、チームメイトである環境こそ、最高の職場なんじゃないかな♪
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