マルタに移住する前、
海外に移住するからには、「自己主張」が必要だって、思ってたの。
海外の人って、自分の意見をはっきり言うし、
自分の意見をはっきり言わない人は、何も言えずに置いてかれてしまうイメージがあったから。
必要なのは、自己主張じゃなくて
でも、マルタに移住して、思ったの。
求められているのは、「自己主張」よりも、「伝える力」だなって。
確かに、ヨーロッパの人も、「自己主張」できる人が多いし、
グループで話すと、みんなが話し始めて、自分は話せないままのこともあって、もどかしい…。
「自己主張できる人にならなきゃ」って、頑張ってた時期もあったんだけど、
そう簡単に、自分の性格って変えられないし、
変えなくてもいい部分もあるんじゃない?とも、思うようにもなってきて、
必要なのは、『自分を変えること』よりも、『自分のことを伝えること』なんじゃないかな?って、思うようになってきたの。
文化の違いを、知りたがってる
マルタで出会う人のほとんどは、相手の文化を知ることに、とってもオープンなの。
いろんな国に人が住んでいるから、”相手を認め合おう”っていう精神が根付いているのかもしれない。
(※昔のマルタ、特にマルタ人は、外国人に対して排除的だったらしいんだけど、若い世代を中心に近年は考え方が変わってきているし、マルタに住んでいる外国人は、外国人に対してとってもオープン)
特に、日本に対しては興味津々で、
遠く離れた国で未知の国だし、ヨーロッパとは文化が全然違うし、日本に対して憧れを持っている人が多いしで、
日本人のパーソナリティーや考え方についても、興味津々なの。
私が、
”なぜ、自己主張が苦手なのか(大勢で話すときに、相手を尊重しすぎて自分の話をできない)”
について話したときも、
「そんなふうに思っているなんて、全然知らなかったぁ。Chichiは、シャイなのだと思ってたぁ」って、驚かれた。
バランスを、探って。寄り添って
私の仲の良い友達は、こんなふうにも言ってくれた。
「Chichiの日本の文化も、理解したよ。でもここはヨーロッパだから、お互いの折り合いがつくバランス地点を探っていこうね」
って。
そのときに、思ったの。
大事なのは、”自分を無理やり変えること”よりも、
”自分の性格や考え方をちゃんと伝えて、理解してもらおうとすること”だって。
そんなことが許されない国もあると思うんだけど、
少なくとも、マルタでは、文化の違いを理解をして、受け入れようとしてくれる人がたくさんいる国なんだよね。
実際、私の友達は、
グループで話しているときに、「Chihicはどうなの?」とかって、話を振ってくれるようになったし、
大事な話をするときは、二人での時間をつくるようになった。
私は、もっと自己主張ができるように頑張ってるし、
友達は、私のことを理解して、寄り添ってくれてる。
お互い寄り添うことが、海外生活をする上で、すごく重要なことなんだって、気づいたの。
自分を理解すること
お互いが寄り添うためにも、「伝える力」は、すごく需要だなって、思う。
伝えて、理解してもらうことって、簡単なことではないよね?
例えば、 ” なぜ、自己主張ができないのか? ” ってことについて。
そもそも、自己主張って?
私は本当に自己主張ができていない?意見をもっていない?
意見はあるのになぜ言えない?
二人きりなら言える? でも、なぜグループになると言えない?…
みたいな感じで、
自分が自分のことを理解していないと、相手に伝えられないじゃない。
マルタに移住して、”自分を理解すること”も同時に、学んでいるように思うの。
伝えて、理解してもらって、寄り添い合う
この学びって、けっこう気持ちいい。
日本の文化に紐付けて、自分の言動のルーツを探るのって、けっこう楽しいことでもあるんだよね。
ヨーロッパと異なる日本の文化を、私自身が興味深くも感じてるし、誇らしいと思う部分も発見できるの。
この部分は、ヨーロッパの文化に倣ってみた方がいいかな?って思ったら、見習ってみたらしいし。
「自己主張できる自分にならなきゃ!」って思っちゃうと、海外(ヨーロッパ)生活は苦しくなっちゃうんだけど、
文化の異なる人に自分のことを伝えて、理解してもらって、寄り添い合うことは、すごく気持ちがいい。
今私が取り組んでいる課題でもあるんだけど、マルタに移住して、心からよかったって思う瞬間でも、あるの。
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