マルタで出逢った、ある一人のトルコ人男性から、
いまのわたしにとってすごく意味のある、大切なことを教わったの。
いまという、タイミングで
幸せってなんだろうって思い悩んだり、
失恋しては泣いて傷ついたり、
そんな過程を経て、
自分なりに葛藤して、これが正解だと思って決断した、
マルタでの移住。
マルタではもっと力を抜いて、心の幸せを感じて、生きていきたいな。って思ってたトキだったから、
このタイミングで彼と出逢えて、彼の考え方に出逢えたことは、
すごく意味のあることのように感じてしまう。
トルコ人男性から学んだこと
1.期待しない
彼は、海を愛していて、
「海が自分を愛してくれなくても、
それでも全然構わない」って言ったの。
わたしが、
「誰かを愛してみたいし、愛されたい」
って言ったときに、
「たとえ愛されなくても愛することはできるし、
それが愛なら、愛されなくても幸せになれる」
って、教えてくれたんだよね。
例えば過去、わたしが失恋したとき。
わたしは、わたしが彼にとってのスペシャルになることを望んでいて、そうだとも思い込んでたの。
だから、そうじゃないって分かったときに、
すごく傷ついた。
きっと、必要以上に期待しちゃってたんだよね。
誰かに、何かに、”期待”しすぎることなく、
ただ、心の声に従って生きられたら、
わたしたちはもっと幸せに出逢えるのかも?って、思ったの。
わたしはマルタをもっと愛したいし、
文章を書くことを含めた、わたしに幸せを与えてくれるものと、
もっと向き合うべきなんだなって、
って、そのトルコ人との会話を通して、思った。
2.目的を絞りすぎない
たとえば、仮に、
出逢った相手に対して、「彼氏として”あり” or ” 彼氏として”なし”」っていう、2つの目線で接したとするでしょ。
もし、「彼氏として、”なし”」っていう判断をしたら、
そのあときっと、彼と出会うことは、ないよね。
そういう判断をせずに、ただ、その相手との付き合いをつづけていたとしたら、
近い将来ソウルメイトになったかもしれないし、もしかしたらビジネスパートナーになったかもしれないし、
そこまで至らなくても、充実したじかんを共にできたかもしれない。
「彼氏として”あり” or ” 彼氏として”なし”」という目線で接することによって、
彼が持っているはずの良いところに気づけず、
人生で大切になっていたかもしれない人との縁を、潰してしまっている。
って、そのトルコ人は、言ったの。
その言葉を聞いて、
わたしはけっこう、人と出逢った際に、
”あり・なし”みたいな極端な判断で、相手をみてきたかもしれないな。
って、思ったの。
ジャッジするようなことも、しちゃってたかも。
もっとまっすぐに、相手のことを見ようとしたら、
もっと人生は、豊かになるのかもしれないよね。
3.考えすぎない
彼の話は深すぎて、
途中途中で、混乱しちゃってた。
そんなわたしをみて彼は、
「考えすぎないことも、大切だよ。分かるときがくるのを待つことも、大切」
とも、教えてくれた。
わたしは、こういう哲学的な、答えのないことに対して考えるのが好きだけど、
大抵はいつも、もっと混乱して、自分の未熟さを責めて、落ち込んだりすることも、あるの。
考えなくても、いつか、きっと、
ふと分かるときがくるものなのかも。
頭の片隅に置いておいて、
そのときがくるのを待つのも、大切なのかもしれないよね。
人生は長いし、物事を学ぶには、成長するには、常にステップバイステップ。
急ぎすぎずに、リラックスして、海の波のように、生きる。
そんな生き方を、彼から学んだ気がしたの。
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