友達のホームパーティーにて。
ちょっと、びっくりしちゃうことがあった。
その日は、インドの友達がホームパーティーを主催してくれてて、
私が会ったことのない人たちも来てたんだけど、
ある国(偏見が入るとよくなさそうなので、国名は伏せておきますね)の女性の態度が、
日本人の態度と違いすぎて、びっくりしちゃったの。
美味しくない?
ホストの子が、「何飲みたい?」って聞いたときに、
その女性は、「モヒートが飲みたい」って言ったのね。
だから、ホストの子は、その子のためにわざわざモヒートを作ってあげたの。
そしたら、そのモヒートを飲んで、
「美味しくないから、もういらない」
って。
「甘いモヒートを想像してたんだけど、ちょっと違ったから、別のドリンクを飲むわ」
みたいな態度で、
申し訳なさそうな態度は一切ないし、
モヒートを作ってくれたことに対しても、別に感謝を示していなかった。
日本人なら
日本人では、こんな光景を見ることは、滅多にないよね。(私は、今回の経験が始めてだった)
モヒートを作ってくれたことに感謝は示すし、
そして、口に合わなかったことに対しては、曖昧な表現で伝えるか、または黙って最後まで飲む。少なくとも、ストレートに「美味しくない」なんて、言わない。
それが正解かどうかって話は置いておいて、
日本の『感謝&曖昧文化』で育った私にとっては、
その彼女の行動は、とっても衝撃的だったの。
文化の、違い?
正直、「なんてルードュなの?」って、心の中で思ってしまった。
日本で生活していたらきっと、彼女のことをただ、「ルードュな人」と捉えていたと思う。
でもね、
「なんてルードュなの?」
って思いが巡った後ですぐ、
「1つのカルチャーなのかも?」
とも、思うことができた。
視点を変えれば
別の友達で、こういう子がいるの。
その子はとっても愛がある子で、
ホスピタリティはすごいし、プレゼントをよくくれるし、友達想い。
その反面、私の家に来たときは、自分の家のようにお水を飲んだり、
何かを奢った際には、「ありがとう」とはいってくれるけどとてもサラッとしてるの。
彼女は、ルードュなわけでも、感謝がないわけでもなくって、
友達同士の距離がとっても近いだけ。ってことを、
彼女とじかんを過ごしていく中で、気づいた。
家族みたいな存在だから、気を使わない。
相手がやってくれたことに対して、他人行儀に感謝を示すことはせず、
自分は相手に対して、家族のような見返りを求めない愛を送るの。
ルードュなその子も?
もしかして、その、
私がルードュって感じちゃった女性もただ、
ルードュでも、感謝がないわけでもなく、
「友達に対して、家族のような感覚なのかな?」
って考えてみることにした。
もしそうだとしたら、
彼女を否定することはできないな。って、思ったの。
まずは、視点を変えること
真相は、分からないままなんだけど、
「視点を変えて考えてみること」「文化の違いを理解しようとすること」
って、すごく大切だなって感じてる。
今回の件だって、そうしなかったら、
その女性のことを、嫌いになっちゃってたと思うの。
そうなる必要のない人のことを、嫌いになりたくないよね。
自分が知らない世界からも、モノごとを
文化の違いからの衝突って、
自分が知っている世界からでしか、モノを見ないことから、
始まっていくもの。
いろんな国の文化が集まるこのマルタの国で、
いろんな角度からの考え方をもっと知って、
自分のイマジーネーション力を高め、
世界の人と繋がっていく方法を、
もっと学んでいきたいなって、
思った。
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