マルタに移住した第二の目的は、「英語の向上」。
でも正直、マルタでの英語学習は、けっこうストレスに感じていたの。
アクセントのある、英語
マルタの公用語は「英語」なんだけど、ほとんど誰も、ネイティブじゃないのね。
マルタ人の母国語は「マルタ語」だし、マルタに移住している人の多くはヨーロッパ人とか南アメリカとか、アジア人とかで、
アメリカ人やカナダ人、オーストラリア人に出会うことって、ほぼほぼない。(イギリス人には何人か会ったことがあるけど、それでも、少ない)
だからほとんどの人が、アクセントのある「英語」を話すの。
しかも、みんなが異なるアクセントを持ってる。
「英語」を話しきれてない人間からすると、色んなアクセントのある英語を聞き取るのってすごく難しいし、ストレスにも感じちゃうの。
私もつられて、自分の発音がもっと変になっちゃったりもするし、
「英語」ができない自分に対して、すごくすごく、ストレスに感じちゃってた。
ジャッジは、されない
マルタで「英語」を話すのが、ちょっと嫌にもなっちゃってたときもあるんだけど、
でも、最近、こう思うようになった。
”誰からも、ジャッジされない”
って、
ありがい環境だよな。って。
みんながアクセントを持っているし、ほとんどのマルタ在住者はフォーリナーだから、
間違った「英語」を話そうと、アクセントがあろうと、誰も、フォーリナー扱いを、しないんだよね。
「あ〜、この人、英語できないんだぁ」とか、「何この人、アクセント強いじゃん。もっと勉強しなよ」みたいな、
ジャッジするような目線で、相手を見ないの。
みんながアクセントを持っていることは、承知の上。
自分で、ジャッジしてた
「英語」の文法を間違えて話しちゃうこと、ときたま詰まっちゃうこと、日本語アクセントのある英語を話すことに、
ストレスを感じてしまっていたのは、
自分で自分を、ジャッジしていたからなんだよね。
相手からもジャッジされてしまっているように感じてて、必要以上に自分を恥じちゃってた。
でもきっと、特にマルタでは、
「英語」のレベルについてはジャッジしていなくって、
相手は「英語」そのものじゃなくて、話す内容とか、話し方とか、話すときの表情とか、話から現れる人間性とか、
そういうものを、見てくれているんだと思う。
”伝える”ことに、意識をして
誰かと会話をするとき。私は、
”英語自体”にフォーカスしすぎちゃってたな。って、反省したの。
”英語自体”にフォーカスしすぎて、話の内容が薄っぺらくなっちゃったりとか、相手に対してうまく共感を示しきれなかったりとか、
会話自体を、楽しめてなかったように思う。
「英語」があんまり上手じゃなくても、それは今は、仕方がないんだから、
”英語自体”にフォーカスするのは、英語の学習の時間だけにして、
誰かとの時間は、ちゃんと、相手と向き合う時間として、フォーカスしたいって、思ったの。
そしたらきっともっと、「英語」を話せる環境のあるマルタに感謝できるし、
結果として、「英語」も伸びるんじゃないかな。
マルタでの英語生活を、もっと、楽しんでいきたいって、思い直したの。
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