日本に住んでいたときは、日本のことしか見えていなくて、
例えば、”ヨーロッパ”という代名詞をみたときは、
それぞれの国が、一つのヨーロッパの国のように思えてた。
それぞれが、違う国
それが、
マルタにきて、たくさん旅行をするようになって、
ちょっとずつ、肌で、それぞれの国の違いを感じられるようになってきたの。
日本と比べちゃうと、ヨーロッパの国はすべて似ているんだけど、
でも、ヨーロッパ同士の国で比べると、全然違うんだよね。
建物も、街並みも、人も、食べ物も、空気感も、
すべて。
アジア、南アメリカ、アフリカにも
ヨーロッパ以外の国には旅行してないけど(マルタに移住してから)、
でも、マルタにはいろんな国の人が住んでるから、
いろんな国の人が、身近に感じる。
世界は繋がっている。
わたしたちはみんな、同じ世界に住んでいる。
ってことを、これもまた、肌で感じられるようになってきた。
自分ごと化
日本にいたときは、世界のことを、自分ごと化することが難しかったの。
ウクライナのこととか、ガザ地区のこととか、
ニュースを見て、悲しいと思いながらも、
どこか遠くで起こっている、自分には関係ないことのように、
思えてしまっていたんだよね。
自分ごと化できない自分に対して、腹が立ってもいた。
自分が無常で、インターナショナルなマインドがなくて、
いろんなことに乏しい人間だって、感じちゃってて。
旅行中、急に涙が
ブタペストの、ドナウ川を見て歩いていたときに、
急に、涙が流れたの。
なぜかふと、ウクライナのことを考えちゃって。
同じ人間が、正当な理由もなく、命や美しい土地を奪われていく残酷さを、
身近なこととして感じられたの。
それは、綺麗なヨーロッパの景色を見ていたからかもしれないし、
街を歩くヨーロッパ人をみて、ヨーロッパ人を身近な存在だと認識したからかもしれないし、
理由はよく、自分でも分からないんだけど、
自分の肌で、世界のいろんなものに触れ合うことが、
自分が世界で生きていると実感する上で、必要なんだって
教えられた。
旅は、しよう
島国の日本では、他の国の人と接する機会がどうしても少ないし、
旅行をするにも、コストや日程面から簡単にはできないと思うけど、
でも、世界と繋がるためには、
もっともっと、わたしたちは旅をするべきだって、いまは、強く思うの。
”世界で生きている” っていう感覚は、
わたしたちが今生きている場所の景色さえも、
もっと、美しく、見せてくれるんだよね。
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