日本語の曖昧さは、「分かりにくさ」じゃない。相手を傷つけないための「優しさと思いやり」

こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼

 

マルタに移住して、いろんな国と友達とのやり取りが増えて思ったことがあるんだけど、

海外で出会った人たちは、日本よりもストレートに否定を表現する人が多いように感じてる。

 

「あの人、かっこよくない?」→「NO!!」

「これって、ドリンク持ち込みOKってことかな?」→「NO!!」

「ちょっとお腹空かない?」→「NO!!」

みたいに、

 

日本人同士の会話だったら、

 

「え、そうかな」とか、「う〜ん、違うと思うよ」みたいな、

少し柔らかな「否定」をするのに比べて、

 

海外の人は、「否定」表現が強いように思うの。

 

自分の意見を”ハッキリ”させているだけで、

相手を否定したいわけではないんだけど、

 

でも、いざハッキリと「否定」されると、正直ね。

批判されているような、または自分が間違っていると言われているような、

少し、不快な気持ちになってしまうのも、事実。

曖昧さの、美

「日本人、日本語は、”曖昧な”表現が多い」

って、世界では言われているよね。

 

日本で生活していたときは、ネガティブな解釈して、受け取っていた。

 

日本人はハッキリせず、分かりにくくって、

コミュニケーションがうまくないって。

 

相手から嫌われることへの恐怖、弱さや、コミュニケーションスキルの欠如から

曖昧な表現になってしまっているって解釈していたんだけど、

 

でも、そんなことは全くないって、

今は強く、感じてる。

 

むしろ、ちょうど良い曖昧さを出せること、

意見を伝えながらも、相手に不快を与えないように気遣いができるところに、

日本人の美や技術、強さを感じているの。

 

「自分の正しさの証明」よりも「相手への配慮」ができる国民性って、

他の国にはなかなかみられない特質で、唯一無二の存在で、

本当にすごいって、思うの。

強く「否定」されても

同時に、海外で生活している以上。

強く「否定」されたとしても、

これはカルチャーなんだ。って、受け入れる努力もしてる。

 

例えば、私の彼氏。

「これ、いる?」→「Na(Noの砕けた表現)」

「お腹、空いてる?」→「Na」

みたいなときの、「Na」のトーンがとっても強い。

 

ただの質問への回答だから、「YES/NO」の返答でオッケーなはずなんだけど、

前置きがなく、強いトーンで言われると、ちょっとね…。

 

”無意識に”イラッとしちゃう私自身にいつも、

「彼はただ、自分の意見をはっきりと伝えているだけなんだよ」って、

言い聞かせる努力をしてるの。

日本語での否定になると

ただ、ちょっと面白いのが、

彼氏が日本語を話すとき。

 

アニメで覚えたような、簡単な言葉を彼はたまに使うんだけど、

 

「いいえ/うううん」っていう時は不思議と少し、

英語のときよりも、トーンが柔らかくなってる。

 

日本語の音自体が、もともと

相手に優しさと思いやりを運べるようなつくりになっているのかな?

って、

日本語の魅力を、新たに感じてもいるところ。

日本の優しさと、思いやりを

日本人の国民性自体、優しくて思いやりがあるって思っているし、

日本語の使い方にも、その国民性が表れている。

 

日本で生活していると、なかなか気づきにくいんだけど、

これって本当に、世界で誇れるような、

世界にも必要な、要素だって感じてるの。

 

多言語、他の国の国民性から学びたいことはたくさんあるけど、

その一方で、私たちはもっと、日本を誇りに思ってもいいんじゃないかな?って、思う。

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