英語を話すとき。
「発音悪すぎって思われてるかな?」、「今文法間違えたけど、バカって思われたかな?」とかって、
他人の批判がすごく、気になってしまってた。
ジャッジ文化の、日本
マルタに移住してから、気づいたことなんだけど、
日本って、『ジャッジ文化』が強いよね。
服装が年齢に適しているか、スタイルが良いか太っているか、仕事ができるかどうかなどって、
私生活でも仕事の面でも、いろんな面で、お互いにジャッジし合っているような気がするの。
そしてすぐに、レッテルを貼る。
「この人は、若造した服装をする人」「足は細いけどお腹が出ている人」「手際が悪くて何をやっても仕事が遅い人」みたいにに。
英語でも、ジャッジ
英語においても、お互いに、ジャッジし合っているような気がしてる。
「この人、発音全然ダメじゃん」とか、「この人の英語、DoとDoesの区別ができてないな」とかって、
別に批判する必要なんてないのに、
ジャッジするかのように、相手の英語を聞いちゃってない?
私自身も、ジャッジしちゃってて、
自分より英語がうまくない人と出会うとちょっと嬉しくなったり、
反対に、すごく英語が上手な人と出会うと、落ち込んじゃったり…。
マルタでは、ジャッジは?
マルタで出会う人は、全然ジャッジしないの。
相手の英語レベルに意識するんじゃなくって、
ただ、”相手が何を言いたいのか”に、意識してる感じ。
英語がうまく話せないとき。
「すごい英語下手くそじゃん、どうしよう、、」って焦っているのは自分だけで、
相手にとっては、下手か上手かは、たいして重要じゃない。
言いたいことがわかれば、それで十分みたいで、
私の話す英語と真摯に、向き合ってくれる。
だから、恥じない
マルタで出会う人の多くは、
相手に対してジャッジしないから、自分に対しても、ジャッジしてないと思う。
例えば、相手の発音の間違いのせいで、勘違いしちゃったことがあったんだけど、
そのときは普通に、笑い話になったの。
友達は「Walk」って言いたかったらしいんだけど、どうしても「Walk」とは聞こえない発音で、
私は、「War」って言いたかったのかな?って勘違いしちゃったのね。
そして勘違いが判明して、「Walk」って言いたかったのね!って気づいたときに、友達は、大爆笑。
「「War」って聞こえた?アハハ〜、違うの〜、「Walk」って言いたかったの〜笑」みたいな感じで、自分を責めている様子h全くない。
日本人なら、恥ずかしいって思っちゃわない?
私なら、うまく発音できなかった自分を恥じて、落ち込んじゃうと思うの。
ジャッジするためのものじゃなく
マルタに移住してから、
自分自身も、いろんなことにジャッジしちゃってる。って、気づいた。
他人にも、自分自身にも。
特に、英語においては、私が一番頑張ってることの一つでもあるから、
発音がうまくないのに会話できている人をみると、「え、私より発音が悪いのに、なんで会話できちゃってるの?」とかって、
ちょっとダークな面が出ちゃうし、
自分が英語でうまく話せないと、「移住して1年半以上経つのに、まだこのレベルなの?頭悪くない?」って、自分自身を責めちゃう。
落ち込む必要なんて、全くないのにね。
英語は、コミュニケーションのために
『英語』は、誰かや自分自身と、競うためのものじゃない。
『英語』に限らず、ファッションも、スタイルも、仕事だって。
誰かとコミュニケーションするためだったり、自分で自分を好きになったりするためのものなのに、
誰かと比べたり、ジャッジしたりして、無意味に気持ちを重くしちゃっているような気がしたの。
もちろん、成長するための努力は必要なんだけど、
良いジャッジを受けるための努力だったら、自分を苦しめちゃう。
マルタに来て、本来の意味を持って成長すことの大切さを、学んだ気がした。
相手にも、私自身にも、ジャッジはしない。
それが、英語を学習し続けていく上で必要なことだし、
人生においても、必要なんじゃないかな。
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