しぜんな状態で築けた友情が、いちばんなのかもしれない

ずっと以前に、”真の友情を築くためには、本音は伝えた方がいい” っていう内容の記事を書いたんだけど、

▼その記事は、こちら

最近ちょっと、伝えることに疲れてきてしまったの。

 

誤解を与えないように、相手を傷つけいように、適切な言葉を選ぶのって体力がいるし、

ディスカッションにまで発展したら、もっと体力がいるじゃない?

わたし自身が、大きく傷つくことだってある。

イラついても、流すタイプの人間

わたしは、普段、友達に対してあんまり怒りは感じない人間で、(ムカつくとか、悲しいとかはあるんだけど)

割と、流れちゃうタイプ。

 

数日間モヤモヤしていることもあるんだけど、

別の友達に話を聞いてもらったり、ブログを書いたり、他のことに集中したりしているうちに、モヤモヤした気持ちは薄れていって、

そして月日が経って、その相手の新たな良い面に出会したときには、モヤモヤしていた出来事を受け入れられちゃってる。

 

「あんなことがあったけど、もう、いっかぁ」みたいな感じで。

怒ったことは、一度だけ

そんなわたしなんだけど、友達に対して怒ったことが、生涯で一度だけある。

 

「誰にも言わないでね」って言ったのに、共有の友達にわたしの秘密を話しちゃって、

「なんで話しちゃったの?」って聞いたら、「話してほしいから私に言ってきたのかと思った」みたいな、トンチンカンな回答をされたとき。

 

そのときは、彼女の言動が本当に信じられなくて、

「秘密にしてほしいから、”誰にも言わないで”って言ったんだよ!」って言葉だけ投げ捨てて、その場を立ち去った。

(ちなみに、その件については解決してて、今でも良き友達)

伝えたいことは、自然に出る?

この経験を思い出して、最近思ったの。

 

”本当に伝えたい内容だったら”、”本当に怒りを感じていたら”、

無理をしなくても、自然に相手に伝えているんじゃないかな?って。

 

秘密を話されて怒ったとき。あの時は、本当に自然だった。

怒りが抑えきれなくて、伝えずにはいられなくて、言葉が勝手に出てきたの。

”伝えた方がいいかな?”とか、”どうやって伝えようかな?”とか、そんな迷いは一切なかったんだよね。

流れにただ、身を任せる?

些細なことだったら、別に無理して伝えずに、その後の流れに身を任せてもいいのかな?って、

最近思うようになった。

 

合わない相手だったら、自然に距離は遠くなっていくと思うし、

距離が離れない相手なのであれば、それは、

『トキにむかつくときもあるけれど、自分にとって大切な存在』ってことに、なるよね。

 

家族同士でも喧嘩するみたいに、

『大切な存在 = ムカつかない』 って訳では、絶対にないと思うから。

重要なことは、無理のない自分でいること

マルタに移住してから、”インターナショナルな人間にならなきゃ” って、

ちょっと自分に無理をして、”伝えられる人間になろう” って頑張ってたの。

 

伝えられる人間が、成熟した人間のように思えてたから。

 

でも、最近は、「本当にそうなの?」って、思うんだよね。

 

『適切なトキ、適切な事柄についてのみ、ポライトな方法で相手に伝えて、

”我慢することもできる人間”こそ、強い人間』なんじゃないかって。

 

言いたいことをなんでも言い合ってたら、お互い、疲れちゃうよ。

 

自分が望むような言動を相手がしてくれることって、ほぼないし、

相手がどんなに良い人間であろうと、合わない人は、本当に合わないから。

重要なことは、無理のない自分でいること

相手に伝えることが、自然にできちゃう人は、それでいいと思うの。

そういうタイプの人間は、伝えないと、ストレスが溜まっちゃうと思うから。

 

わたしは、伝える努力もやってみて、分かった。

わたしはそういうタイプの人間じゃないし、伝えようとすることで、逆にもっと、ストレスが溜まっちゃうって。

 

ちょっと冷たい人間のようにも聞こえるけど、

もし、相手に対して何か不満に思うことがあれば、「おっけい、そういう人間なんだね」みたいな、

ちょっと俯瞰した態度で接した方が、わたしは楽に生きられるんだって思う。

努力なしで、合う人もいる

そんなことを言っちゃうと、

Chichiって、みんなに対してなんかジャッジメンタルで、見下した態度でいる? みたいに思われちゃうかもしれないんだけど、

そうでも、ない。

 

それは、拒絶しないでいい人を、好きになるための手段として使っているだけであって、

努力なしで、衝突なしで、自然と好きでいられる人も、いるんだよね。

 

「この人、好きだな。すごい合うな」って気持ちが、努力なしで自然に育っていく相手。

 

自然な状態で、無理のない状態でいられる相手と巡り会うことができたら、

それは人生で、すごくすごく奇跡なことで、宝物になるんだと思う。

頭で考えるのは、やめる

わたしは、友情関係について、色々と考えすぎちゃって、

「この人とわたしは、本当の友達になれるんだろうか?」とか、

「わたしはこの人のことを、どれだけ大切に思っているんだろうか?」とかって、

誰と付き合うべきか、どんな態度で付き合うべきかを、すごく悩んじゃってた。

 

今は思う。

別に、考えなくてもいいのかもって。

ただ、自然に

そんなこと考えずに、普通に生活していて、

その人が大切な存在であれば、今後も関係は続いていくし、自然に関係も深まっていくし、

好きな存在であれば、自然に「大好き」の感情が育っていく。

 

合わない人は、自然に去っていき、

 

別に、わたしがあえて、選んだり切り捨てたりしなくても、

わたしがただ、自然な自分でいられたら、

 

自分に合う人。自分が付き合うべき人だけが、わたしの人生に残っていく気がするの。

大切なのは、『感謝』の気持ち

『感謝』の気持ちだけは、忘れないでおこうって、思う。

 

その瞬間、ムカつくことがあったとしても、

相手がわたしに与えてくれるものに対しては、感謝したい。

 

相手がわたしに与えてくれる、エネルギーとか、言葉とか、チャンスとか。

大切な存在って、常に、Give&Takeな関係だとも、思ってるから。

 

わたしはお金の面ではぜんぜん周りの人にGiveできていなくて、

豪華なものをプレゼントするとか、素敵なディナーを奢ってあげるとか、そういうことはしていないけど、

 

相手が話を聞いて欲しければ、耳を傾けるし、

言葉では救えないほどに落ち込んでいたら小さな花束をプレゼントしたりするし、

疲れていても、エネルギーを分かち合えるようなポジティブな存在でいるように心掛けてるし、

 

すごく小さなことだけど、

大切な人には、Giveを心掛けてる。

 

そして、相手がGiveを与えてくれず、むしろ何かを奪い取る、(振り回す、ネガティな感情にさせる、とか)Takeだけする相手だったとしたら、

わたしはその相手と関係を切ることが、多いな。

 

『感謝』できない人間とは、いっしょに時間を過ごしたくないの。

もっと、チルに、友情関係を大切にしたい

『感謝』の気持ちだけは心がけて、

これからは、小さなことでは悩まないようにしようって、思う。

 

自然な流れに、任せる。

 

関係を縮る努力とか、相手を愛する努力とか、そういう努力はせずに、

『感謝』を示す努力だけをして、

誰とわたしは、人生を共有するのかを、見守っていけたらいいんじゃないかな。

 

そうしたら、

無理せず、自然な自分で、

 

分かり合えて、尊敬し合えて、大切な存在だと心から思い合える関係が、

人生を通して築けていくって、思うの。

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