こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
YouTubeを始めようとしている友達との会話で、こんなことを聞かれたの。
「もし、同僚や友達に私のYouTube動画を見たら、恥ずかしいって思っちゃうんだけど、
Chichiはそんなことないの?」
って。
その質問をされたときに、
興味深い質問だな。って、思った。
質の悪い作品を上げちゃったときは、ちょっと恥ずかしさがあるんだけど、
自分の表現に対しては、全然恥ずかしい。って思ってことがなかったから、
「なんで、恥ずかしがらずにできちゃうのかな?」って、
自分のことを理解するためにも、この質問の自分の答えについて、深掘りしてみたくなった。
(だから、このテーマで、このブログを書くね)
なぜ、恥ずかしくない?
1. もっと、理解してほしい。そして私は、表現者
これって、私に限らず、人が誰しも思っていることだと思うんだけど、
『私を、理解してほしい。知ってほしい』
って、思ってる。
24時間の中でさえ、何かを発見したり面白い出来事が起きたり、いろんな感情が湧いたりして、
誰かに何か、共有したいことが出てくるよね。
「聞いて、聞いて」って、誰かに話したくなる。
でも、人は皆、他人に興味がない生き物でもあるから、
普段の生活の中で、自分の話をずっとしているわけにはいかない。
ずっと誰かと会話していて、感情を吐き続けられる人は、いいんだけどね。
私はそういうタイプじゃないから、
自分の感情を吐き出すプラットフォームが必要なの。
「興味がないなら通り過ぎてください。
でも、私の言葉に耳を傾けてくれる人がいるなら、ぜひ、聞いてほしい。分かってほしい。
そしてできれば、共感してほしい。誰かの力になってほしい」
って、
自分を表現できる場所があるってことは、大きな喜びでしかなくって、
そこに恥じるものは、何もない。
2. 行動している人は、強い
この前ちょうど、「自己効力感」についての記事を書いたんだけど、

「行動」という行為そのものが、とっても誇れるものだって思ってる。
例え、質の悪いものを作り出して、誰かに笑われたとしても、
「行動していないあなたよりは、マシでしょ?」
って、思えるの。
他人を笑うような人の意見は、聞きたくもないしね。
正直、自分で自分について、恥ずかしく思うときはしょっちゅうあるよ。
過去のブログ記事を読み返したり、過去に投稿した動画を見たりしたときに、
「何この、低クオリティー…」
って、ガッカリしちゃって。
当時の自分は、それでGOODと思って投稿しているわけだから、
自分のスキルを疑ってしまいそうにもなるんだけど、
でも、それでも、
「行動」していないよりは、マシじゃない?
過去の自分よりは断然にスキルが上がっているし、
未来の自分はもっと、上がっている。
いつの日か、とっておきの自分になれれば、それでいいの。
今はその、プロセスの中。ってことで。
3. 恥ずかしいのは、フェイクな自分であるとき
私にとって、一番恥ずかしいこと。
それは、『”フェイク”な自分でいること』。
声を変えるとか、何か狙ったポージングをするとか、そういう分かりやすく”フェイク”な自分になるのも恥ずかしいし、
もし私が、ブログで”フェイク”な心境を書いていたとしても、恥ずかしい。
もう、見ていられないくらいにね。
私のクリエイティブのモットーは、『リアル』。
ブログで綴る心境は、全てリアルなものだし、
YouTubeやTickTokだって、リアルなものにしてる。(IGは少しカッコつけた投稿をしちゃっているけど、IGもリアル😅)
私が『リアル』なものを表現していく限り、
例え、その中に、自分の葛藤や失敗、情けない出来事が入っていたとしても、
『リアル』な限りは、自分を誇らしく思えるの。
だって、これが、私の全てなんだもん。
こんな葛藤があります、こんな喜びがあります、こんなふうに成長しています、
これが、Chichiです。
ってね。
リアルな自分を、表現し続ける。行動し続けて
友達との会話を通して、こんなふうなふうに自分のことを見つめ直して、
そして改めて、思った。
このブログを書き続けられること、
Youtubeやインスタ、TickTokなどで私のリアルを表現し続けられることって、
なんて、私の喜びなんだろう。って。
もし、結果が出ないとしても、
この行為自体がもう、私の幸せなんだよね。
これからも私のリアルを、表現していきます♡
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