前に、『人生は、山あり谷あり』って記事を書いたんだけど、
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私たちは、山あり谷ありである人生を受け入れて、自然に争わずに生きるしかないんじゃないかな。って、思う。
私の、『谷期間』
私の最近の、『谷期間』は、色々あった。
失恋から始まり、
友達との衝突、旅行の中止、携帯の破損など。
その時期は、すべてに対してめんどくさいって思っちゃって、
友達と遊ぶのとか、ブログを書くのとか、英語を勉強するのとか、大好きなバチャータダンスまで、
意欲をちょっと、失っちゃってたの。
ただ、耐える
そんなときはただ、受け入れるのが、いいんだろうね。
「あぁ、私はいま、『谷期間』にいるんだな」って、
山期間に登ろうとしたりとか、自分が運のない人間のように悲観してみるとか、
そういうことはせずに、
ただ耐えて、いつかまた訪れる『山期間』を、ひたすら待つ。
だって、人生誰しも、『人生は、山あり谷あり』だから。
人生は、誰しも平等
ちょっと話題が変わっちゃうんだけど、
私は、『人生は、誰しも平等』だと思ってるの。
誰しも、『人生山あり谷あり』の人生を送っていて、
他人の人生がどんなに素晴らしく見えてても、その人生にも絶対に、谷期間はあったはず。
もし、谷のない人生を送っているなら、その人生にはきっと、山もなくて、
悩みが葛藤がない分、大きな喜びも少ない、平凡な人生なんじゃないかなって、思う。
山のある人生を築こうとするほど、谷の期間も経験しなきゃいけないだろうし、
それが嫌なら、葛藤のない平凡な人生を生きるしかない。
どちらが幸せな人生なのかは、人によって違ってくるのかもしれないけど、
言えることは、やっぱり、
『人生は、誰しも平等』だって、こと。
『谷の期間』を、どう生きるか
そして、ちょっとだけ、人生を幸福に生きるコツは、
”『谷期間』を、どんな風に受け取るか”
なんじゃないかな。
誰にも訪れる、この『谷期間』を、
争わずに受け入れ、冷静に耐えることができたら、
私たちの人生は、もっと幸福になるんじゃないかなって、思うの。
「なんで、私にこんな不幸なことばっかり訪れるの?」って考えるんじゃなくて、
「あぁ、『谷期間』がやってきちゃったな」って考えられたら、
私たちの人生は、いつだって、そんなに悪いもんじゃないよね。
そして、『山期間』が訪れたときにまた、最大限に喜びを感じればいい。
光を、待ってる
けっこう悪いことが訪れたから、そろそろ、光がやってくるんじゃないかな。って、感じてる。
「自分に起こった悪い出来事たちに、よく耐えたね」って、自分に伝えたい。
この後やってくることは、いいことだけ。
そう思えたら、少しは楽な気持ちで、自分に起きたことを受け入れられて、
近い未来に対して、希望が見えるよね。
ちゃんと耐えたから、あとは、光がやってくるだけ。
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