マルタでも、『対話』できる友達を求めてた。『対話』で生まれる絆と理解

会話をした後、どこか孤独感があったり、物足りなさがあったりすることって、ない?

私はそういうことがしょっちゅうあるし、そう思う回数も、年齢を重ねるごとに増えてきた。

『会話』じゃなく、『対話』を

「なんで、そう思っちゃうんだろう?」って考えたときに思ったのが、

「私が『対話』をしたいのに、『会話』しかできなかったからだ」って、ことなの。

どういうこと?

『会話』…明確な目的やゴールがなく、二人もしくは少数で話し合うこと

『対話』…互いの立場や意見の違いを理解し、そのズレを擦り合わせながら、何かしらのテーマを持って何らかの目的のために、二人もしくは少数で話し合うこと

っていうふうに理解しているんだけど、

ほとんどの場合で、「あれ、この人、なんで私と会いたかったんだろう?」って、思っちゃうんだよね。

 

一方的に話を聞いたり、

または、質問されたとしても、「ずっとマルタに住むつもりなの?」とか、「今の仕事はいつまで続けるの?」みたいな表面的な質問で、

「マルタ生活のどこが好きなの?」とか、「どういう仕事にパッションを感じるの?」みたいな、深いとこを探る質問って、ほとんどされることがない。

 

だから、”相手と分かり合えた”って思える実感はないし、”私じゃなきゃいけない理由”が、二人の時間にはないの。

『対話』を

私が求めているのは、『対話』で、

お互いの価値観、考え、生活スタイルなんかを、共有することによって、

何かの学びを得たり、自分のことを理解してもらったり、相手に気づきを与えたり、したい。

 

そして別れるときには、

「お互いのこと、もっと理解し合えたね」「気づきがあったね」っていう気持ちで、

温かい気持ちでさよならをしたいの。

よき友と、よき対話で

『対話』をすることで、気づきを得られ、新しい道がひらけていく。

 

残念ながら、『対話』ができる相手って、なかなかいないものなんだけど、

でも、『対話』ができる友達が大切だってことは、年を重ねるごとに感じていく。

 

今振り返ると、自分の人生の分岐点になっているものって、

『良い対話』から生まれたものなんだよね。

 

よき友と、よき対話で、

自分一人の力だけでは気づけないものに気づいていって、

人生をもっともっと、開拓していきたいって、思ってる。

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