交友関係は、成長とともに、変わる。バチャータダンスを踊るように

”一緒にいて心地いい存在” が、どんどん変わってきているように感じてるの。

 

久しぶりに会ったときに、

「あれ、なんか、あんまり楽しくないな」って、

ちょっとした違和感を覚えることが、正直なところ、あるんだよね。

バチャータ

私が習っている、バチャータダンスでも、

同じようなことがある。

 

一緒に踊って、気持ちいい相手が、どんどん変わっていくの。

 

ちょうどこの前、3ヶ月ぶりに一緒に踊った人がいるんだけど、

すごく、不思議だった。

 

3ヶ月前に初めてその人と踊ったときは、

その人と踊るとすごく楽しくって、相性がいいな。って感じていたのに、

 

それがこの前は、不思議なことに、あんまり楽しくなかったの。

成長と、ともに

それは多分、私が成長したからなんじゃないかな?って、思う。

 

彼は、ダンススクールには通ってなくって、

私は週に2回のレッスンを受けて、パーティーを含めると、週に4回くらいはバチャータダンスを踊ってる。

 

この3ヶ月の間に、私のダンスはだいぶ、上達したはずなんだよね。

 

ダンスレベルがちょうどよい相手とダンスをするのが、

お互い、気持ちがいい。

レベルが合う相手と

”レベル” って言っちゃうと、人間に優越をつけるようで、失礼な言い方に捉えられちゃうかもしれないけど、

でも私は、人間にも、レベルはあるって思ってるの。

 

レベルの付け方に、基準にする材料はたくさん存在しているとも思うけど、

 

例えば、レストランで食事をするとき。

店員さんへの接し方、オーダーの仕方、食べ方、お会計の仕方、とかで、

その人の人格や社会性などが、見えてくるよね。

 

または、”レベル” ではなくて、”価値観” の違いというか、

 

”他人の揚げ足を取るような人か、他人の幸せを願える人か”、

”ネガティブ思考な人”か、”物事をポジティブに捉える人”か、

みたいなことでも、

人間の違いって、あるじゃない?

 

そういったものが近いしい人と一緒にいて、私たちは、心地がよいと感じるんだと思うの。

 

そして、自分が成長したり、変化したりすると、

一緒にいて心地よい相手も、変わっていく。

悲しいことでは、なくて

友好関係が変わっていくことは、

自分が冷たい人間なわけでも、悲しいことでもなく、

 

むしろ、ポジティブなことだって、捉えてるの。

 

「今まで、一緒に時間を過ごしてくれて、ありがとう。感謝してる、さようなら」

って、

 

自分がまた、もっと成長するために必要な過程だし、

過去の友好関係があったから、今があって、

そして、未来の友好関係に繋がっていく。

常に、心地よい相手と

”友好関係は簡単に切り捨てていい” とか、

”永遠に続く友好関係は存在しない” とか、

 

そういうことを伝えたいわけじゃなく、

 

”私たちは常に、心地よい相手と、じかんを一緒に過ごすべき”

だってことを、伝えたい。

 

相手に対して、申し訳ない。って思う必要はなくて。

 

無理やり縁を切るってこともしなくてよくって、

ただ、自分が感じるままに、

 

「なんか、気分が乗らないな」って思ったら、誘いは断って、

常に、自分を正しい場所に置く。

正しい相手といることで、また

正しい場所に身を置くと、メリットしか、ないよね。

 

居心地はいいし、

自分が学びたいと思っているもの、得たいと思っているものを、得られる。

 

望むべき方向へと、自分を成長させることができるの。

 

だから私は、自分の小さな違和感に敏感になって、

自分を正しい場所へと、起き続けてあげたいな。

って、思ってるの。

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