こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
日本で生活をしていたときは、どちらかというと、
キャリア思考だった。
”キャリアウーマン”の女性に憧れを持っていて、
周りの友達なんかで、
大企業に勤めている人、出世した人、フリーランスとして独立した人なんかを見ると、
「いいな」って思ったし、
私自身も、
「早く一人前のコピーライター/クリエイティブディレクターになりたい」
って、
頼まれた全ての仕事を引き受けて、遅くまで残業して働いたり、
休日は、仕事に関する本を読んだりオンライン講座を受けたりしたりと、
成長することに、必死だったと思う。(日本では、コピーライターとして広告を制作していました)
毎日が、”もっと成長しなきゃ”(”なんで、私はこんなに未熟なんだろ”)
の連続で、
でも、頑張った先に、素敵なキャリアと幸せが待っているって信じていたから、
忙しくても、心が折れそうになったとしても、
頑張ってこれたんじゃないかな。
”未来”への幸せを求めて、”いま”失ったもの
そんな日々のおかげで、誇れるものは、たくさんある。
実際、あんなに必死に頑張らなければ、
身につけることができない知識やスキルはたくさんあったから、
キャリア思考であったこと、頑張ったこと自体については、
後悔はなく、否定もしたくない。
でも、いま思うと、
”失ったもの”も、
たくさんあったかもしれない。
「幸せは、”未来”にある」と、
信じすぎちゃったあまりに、
”ただぼーっと、夕日を眺めてみる意味のないじかん”とか、
”「なんでいま、ちょっと落ち着かない気分なんだろう?」みたいに、心と対話するじかん”とか、
そういった、
”未来”の幸せには繋がらないと思って、
切り捨て、失っていた、
”いま”ある幸せのじかんたち。
”未来”の、自分がなりたい自分じゃないから…
”未来”に描く、自分がなりたい像と”いま”を比べて、
自分を不幸にもしてた。
「優秀なコピーライターになるには、マーケティングの知識も勉強しなきゃ。(なんで私は、こんなに知識がないの?)」
「コピーライターなら、言葉の使い方が完璧じゃなきゃ。(それなのになんで、こんな未熟な文章を書いちゃうの?)」
みたいに、
”未来”の自分にあって、”いま”の自分にないものにフォーカスしすぎて、
自分を苦しめていた。
その当時だって、持っていたものはあったはずなんだけど、
「成長することができたら…(幸せになれる)」
「何かを成し遂げることができたら…(幸せになれる)」
って信じていたから、
未熟で、大きく何も成し遂げたことがない”いま”の自分を、
否定しすぎちゃったの。
葛藤するプロセスの中や、小さな成熟の中、
またはただ、
「Chichiさんとは仕事がしやすいです」なんて言ってもらえるようなことにだって、
幸せはあったはずなんだけど、
幸せとして受け取る余裕がなかったし、
私が描いた”未来”の幸せ(何かを達成すること)に、こだわりすぎちゃっていたかもしれない。
マルタで学んだ、”いま”の瞬間を大切にする価値
マルタに移住してから、
”いま”の瞬間を大切にする価値を、学んだ気がする。
”頑張ることをやめよう”ということではなく、
『頑張ることと同じくらい、今の自分の人生に目を向けるべき』
なんだっていう、価値観。
マルタに移住を決めたのは、ちょうど、
日本での忙しい日々の中で、幸せを見失いそうになっていた時期で、
「もしかして、仕事だけじゃなくって、
”どんな人と一緒に過ごして、どんな環境で生きるのか”の方が、
幸せに近づく一歩なんじゃないか?」
って思い、
確かめたくって、
マルタへの移住を決めたの。
街のすぐそばに海があり、海が生活の一部になった。
道を歩いていると、日本では見かけないブーゲンビリアという花をよく見かける。
地元の人と思われる人が、昼から集まってビールを飲んで笑っている。
そんな、日本とは違った新しい光景、
そして、ほのぼのとするような光景が生活の一部になって、
”いま”の瞬間へと、自然とフォーカスするようになり、
”いま”の瞬間に、幸せはあった” んだってことに、
少しずつ、気づかされていった。
私が思う、幸せって
日本で生活していたときの”幸せ”のイメージって、
何かの大会で優勝したときのような、
大好きな人への告白が成功したかのような、
どこか情熱的で、アドレナリンがあるような、激しい感情のイメージだった。
過去を振り返ったときにも、その時の栄光が、
自分を幸せにしてくれる。
みたいなね。
でも、マルタに移住してから感じている幸せは、
もっと穏やかで、静かで、平和なもの。
植物から新しい芽が出てきたのを発見したときのような、
地面に横になって空を見上げ、静かに星を眺めているときのような、
心の奥まで、あたたかく染み渡っていくような、
派手で豪華じゃないけど、安心感のあるものへと、
幸せの定義が大きく変わった。
こういった小さな”いま”の幸せの延長上に、
「あぁ、私の人生は、幸せだったな」
って、
思えるのかもしれないよね。
何を大切にし、どこに住んでいたとしても
キャリア思考は、よくない。もっとプライベートも重視すべきだ。
とか、
忙しい日本社会では、幸せになれない。
とか、
そういうことを、言いたいのでは、ない。
キャリア思考でもいい、仕事を頑張ってもいい、
日本にいたっていい。
でも、
何を大切にしていたとしても、
どこに住んでいたとしても、
幸せは、”未来”にじゃなく、
”いま”にあるものだってことを、忘れてはいけないんだって、
マルタに移住してから、
学んだように思う。
こんなふうに、
”幸せの定義”について考える時間だって、
私にとっては、幸せの時間の一部。
”幸せ”は、
ふと立ち止まって、大きく息を吸って、
新しい変化を発見したり、
目の前の光景をただ味わったり、
何かについてふと考えてみたり、
そんな瞬間の中にも、
隠れているのかも、しれない。
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