こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
最近、浜崎洋介さんという芸術評論家の方のYouTubeをよく見ているんだけど、
ある動画の中で、
「言語化することで、それが自分の哲学になる」
みたいなことを話していらっしゃって、
その言葉に、ちょっとした衝撃を覚えたの。
”ブログ書くこと自体が、自分の人生を理解する方法になっていた”って気づいて、
今まで感覚的に続けていたブログに、新しい意味が見つかったから。
どうして、ブログを書いてるの?
友達から、ふと、
「どうしてブログ書いてるの?
私には、無理だな。面倒くさくって」
みたいなことを、言われたことがある。
私にとっては面倒臭いことなんかじゃなくって、
好きで、楽しみながら書いていて、
ただ、”文章を書くのが好き、”言葉が好き”だから、
ブログを書くのが好きなんだって、思ってた。
それが、
「言語化することで、それが自分の哲学になる」
って言葉を聞いたときに、
「あ、これが、
私がブログを書くのが好きな理由なのかも?」
って、思ったの。
「ブログを書くことは、
ただ文字を書くこと、言語化することじゃなく、
”経験から何かを学び取ること”でもある」
って、気づいた。
言語化して理解することで
ブログを書いた後って、
頭の中がとっても、スッキリするの。
例えば、失恋して、落ち込んでいたとして。
そんな時って、例えば
「どうしてこんなに悲しいのか?」から、迷子になる。
失恋したから悲しいんだけど、
「どうして失恋したことが悲しいのか?」って、その奥深くまで探ろうとすると、
喪失感なのか、失望感なのか。それとも、相手を失ったことよりも、思い描いていた未来を失ったことが悲しいのか。
こうやって考えていくと、同じ「悲しい」という言葉の中にも、いろいろな感情があることが見えてくる。
自分の気持ちを適切に理解できないときって、
迷子になったときと同じような漠然とした不安があって、
逆にいうと、
自分の気持ちを言語化して理解することで、
自分の居場所がはっきり分かり、
次に何をすればいいのかも、少しずつ見えてくる。
体験から、『自分の哲学』が生まれていた
これまでに書いたブログを通して、
私は、「自分の哲学」を生み出していた。
失恋の痛みで苦しんでいたときは、
「相手に幸せを求めるのではなく、自分を幸せにするのは、自分なんだ」
っていう、自分なりの答え。
彼が人生に結婚を求めていないことを知り、私は人生に結婚を求めているのかと悩んだときには、
「私が求めていたのは、結婚という形式よりも、”誰かと人生を共にすること”だったんだ」
っていう、自分なりの答えが、
生まれていた。
実際の経験を通して感じたこと・悩んだことをブログで言語化させることは、
自分の人生に対する理解が深まることでもあった。
これからも言語化していくことで
浜崎洋介さんの言葉は、
「これからも、いろんな葛藤を、言語化していきたい」
って、
背中を押してもらえる言葉になった。
「そんなこと、ブログに書いて何の意味があるのか?」
なんて迷う必要はなく、
もし、誰にも共感してもらえない内容になったとしても、
(できれば、共感していただける内容を残していきたいけどね)
でも、少なくとも、
「私の哲学が1つ増えた」という点においては、
ブログを通して言語化していくことは、
私にとってはすごく、意味がある。
「自分なりの答え(自分の哲学)がひとつ増えるたびに、自分の人生を少し深く理解できる」と信じて、
これからも、
葛藤や迷いを言葉にしながら、生きていきたい。
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