コロンビアに帰国する友達から、サプライズで、
ギターピックのプレゼントをもらったの。
ギターを買いたいと話をしていたときに、彼はちょうどスペインにいて、
ちょうどギター屋さんを通りかかって、
わたしのために買ってくれたらしいんだよね。
これが、求めてた幸せ?
ギターピックをもらった瞬間、
言葉にできないあたたかい気持ちに、包まれた。
たったのギターピックといえば、そうなんだけど、
なんでギターピックを選んでくれたのか。その意義に、大きなものを感じたし、
わたしの誕生日とか、何か特別な日でもないから、わざわざ何も買わなくてもいいのに、わたしのことを思い出して、買ってくれたこととか、
ギターピックを受け取った瞬間、彼のわたしに対する不快愛情を感じられて、
ものすごくあたたかい気持ちになれたの。
わたしを大切にしてくれる人に
彼はわたしに、
「Chichiは僕にとって、大切な人。外面も中身も、美しい人」
とも、言ってくれた。
彼には好きな人がいるから、この言葉は、友情としての言葉。
わたしのことを友達として愛してくれて、
わたしから美しさを見出し、大切に扱ってくれた。
そのことを、全身で感じられたの。
「外面も中身も、美しい人」なんて、デートした男性でさえ、そんな素敵な言葉をもらったことはなかったから、
すごく感動しちゃった。そして、気づいた。
”こんなカタチで、わたしを見てくれる人と、わたしは人生を過ごしたい。”って。
そして、わたしの美しさを見てくれて、それを伝えてくれて、
実際に愛情を与えてもらうことが、”わたしが求めている愛で、幸せなんだ”って、感じたの。
わたしを愛してくれる人と
わたしはこれまで、恋に落ちると、
自分のことを大切にしてくれなくても、まぁそれでもいっか。って、彼に合わせてしまっていたんだよね。
潜在的には、愛されていないことに傷ついていて、
それが心の傷として、ちょっとずつ溜まってもいた。
同じような経験をすると、心が傷むの。
だから、自分が傷ついていることが、わかる。
でも、恋に落ちると、止められなかったの。
愛を知って
昔友達が、
「わたしは、自分のことを大切にしてくれない男とは会わない。自分のことを愛しているし、愛の素晴らしさを知ってるから」
って言っていたんだけど、
あんまり、ピンときていなかった。
愛されなくても、自分が好きだったら、デートを楽しんじゃってもいじゃない?って。
でもやっと、その言葉の意味を、心から感じられた気がしたの。
「わたしのこと、好きじゃないんだ」って、
切なくなる悲しくなる瞬間は、もういらないな。って、思った。
わたしにだって、周りの人と同じように、美しい部分はあるし、愛される価値があるはずだし、
それなのに、自分のことを愛してくれない人と一緒にいたら、
自分のことを魅力がない人間だって、思っちゃう。
自分を大切にしたいから
いまは心から、”自分のことを大切にしたい” と思えてる。
自分のことを愛してくれる人のために自分のじかんを使いたいし、
自分を軽くみるような人とは、距離を置きたい。
無駄に傷つく必要はないし、
もっと、愛を感じで生きたいの。
それが、わたしの幸せだって、気づいたんだよね。
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