マルタに移住したのは、約2年前。
日本で生活していたときは、コピーライターの仕事をしてたの。
コピーライターの仕事は、私にとっての天職だと信じていて、
その道でのキャリアを積むために必死だったんだけど、
でも、あるときふと、
「私の幸せって、なんなんだろう?」
って、立ち止まる瞬間があった。
つい先日、ブログの読者の方から嬉しいコメントをいただいて、
「コピーライターの仕事に興味があるから、知りたい」
と言っていただいたので🎵
今回は、コピーライターの仕事についてを書きながらも、
日本でのキャリアを捨てて、「”なぜ”マルタに移住したのか」についても、
記載するね。
やりたいことが分からなかった、20代
まずは、私の20代についてを。
20代は、自分のやりたいことが本当に分からなくて、彷徨ってた時代だった。
初めて入社した会社は、お煎餅メーカーの営業職。
「特にスキルがあるわけでもないから、営業かな?」っていう、消極的な理由と、
「日本の文化が好き!何か、日本の文化の継承に貢献できる仕事がいい」っていう、漠然な想いとで、
その会社を選んだの。(というか、他の会社では落ちまくって。。汗笑)
1年も経たないうちに、
「本当にこの仕事でいいの?」「この延長上にある人生を送るの?」っていう違和感が出てきて、
勇気を持って、ノープランで退職しちゃった。
思い切って、「えいっ」
元々の私の性格は、(というか、親から受けた教育として)無難な人生を歩むタイプで、
次の就職先を見つけてないのに退職するとか、親に相談する前に自分で何かを決めちゃうとか、
そういうことをするタイプじゃ、全然なかったの。
自分でもびっくりしたし、親にもすごく、驚かれた。(というか、心配された)
思い切った決断ができたのは、
たぶん、周りの環境の影響だと思う。
友達ゼロの状態で、東京の会社に就職したから、
友達づくりのためによく、朝活/カフェ会などに参加してたの。
そういうところで出会う人って、自分の道を切り開くタイプの人が多くって、
だんだんと自然に、自分のマインドセットも、
「自分がやりたいことをしたい」に、強く変わっていった。
やりたいことが何なのかは分からなかったけど、今の仕事がやりたいことじゃないのは確かだったから、
「えいっ」って。
今辞めないと、一生会社を辞めれないような気がしたから、
思い切って、辞めることにした。
「やりたいこと」は、簡単には見つからず
それからは、日雇いバイトでなんとか生活しながら、自分探し。
「自分は、何が向いているんだろう?」って、考えながら。
でも、『自分をやりたいこと』を見つけるのって、簡単じゃないよね。
考えても考えても分からなくって、
「コピーライター」の仕事と出会うまで、5年近くかかったちゃった。
30代から、『やりたいこと』を
「私、コピーライターになりたいかも?!」って思ったのは、28歳のとき。
その当時、私は、「OLの仕事って、どんな感じなんだろう?体験してみたい」っていう浅い動機から、
派遣社員として、CM制作会社でのオフィス勤務をしていたの。
そしたら、突然、フッって来ちゃった。笑
『やりたいこと』は、身近にありすぎて、気づきにくい
「あれ、私、文章を書くの、好きだな」って。
趣味でアメブロをしていたり、日記や詩を書くのが好きだったりして、
毎日のように、文章を書いていたことに、気づいたの。
そして、CM制作をしている、クリエイティブの人たちの仕事を「かっこいいな」とも思っていて、
「文章」✖️「クリエイティブ」で、
「あ、コピーライターに、なりたい!」
って、思った。
まずは、手軽にできることから
と言っても、本当にコピーライターが自分に合っているのか確かじゃなかったから、
まずは、フリーでライターとしての活動を始めたの。
クラウドサービスを使ったり、ライターの交流会に参加したりして、
ちょっとずつ、案件を受注していった。
未経験でもOKの仕事が多いから、ライターになるのって、あまりハードルが高くないの。
主婦の方も多いって聞いているし、
行動さえすれば、ライターには、比較的容易に、なれるはず。
確信を持ったから
ライターの仕事を経験してみて、
「文章を書くの、好き」って、思った。
「できれば30歳になる前に、正社員になりたい」っていう気持ちもあったから、転職活動を始めたの。
そして運よく、未経験でもOKな会社を見つけて、
コピーライターになることができた。
(ちょっとしたライティングテストと、コピー制作テストを受けて)
コピーライターの仕事って?
コピーライターの仕事はね。
正直、とっても、シビアだと思う。
『考え抜いて』、一言を
まずは、
考えて、考えて、考え抜いて、「これだ!」と思える一言を見つけ出さなきゃいけないこと。
キャッチコピーを見ると、簡単に生まれたように見えるかもしれないんだけど、
その一言を見つけ出すために、何日もかかっていることだって珍しくない。
まずは、調べるところから初めて、
ターゲットは誰なのか、ターゲットはどんな気持ちなのかを考え、
そのターゲットに刺さるメッセージを考える。
そして、そのメッセージを、
コンパクトな言葉で、心に刺さるような角度で、生み出さなきゃいけないから。
家に帰っても、夜寝る前でさえ、ずっと言葉を考えていたし、
締切間際で言葉が出てこないときは、すごくあせちゃった。
そして、よく上司から怒られたのは、
「ちゃんと、考えた?」って言葉。
「ターゲットのこと、考えてきれてないよね?」「そのキャッチコピーは、伝えたいメッセージを表してないよね?」「その言葉、刺さらなくない?」っていう指摘で、
そう言われて見返すと、「そうだな、足りなかったな」って反省するの。
そのときは、考え切ったつもりだったんだけど、
冷静になって、客観的に見返すと、良いコピーになっていない。
『考える』って、どこまで考えたら、『考える』なの?
って、
ちょっとずつ、コピーを書くのが怖くなっていったりもしちゃった。
『マーケティング的な考え』が求められる
コピーライターの仕事って、文系の人に向いてるイメージがない?
でも、実は、理系向きの仕事なの。
”ターゲットは誰で、そのターゲットに何を言えば、行動(購入など)してもらえるのか”を、
ロジカル的に組み立てなきゃいけない。
実際、コピーライターの作業内容は、コピーを書くだけじゃなくって、
ターゲット選定、分析、考察と仮説といった、マーケッターがやるようなことまでやらなきゃいけなかった。(会社によるんだけどね)
私は、マッケッタータイプの人間じゃないから、
この作業をやるに前はいつも、ちょっと憂鬱な気持ちだったな。
※ちなみに、キャッチコピーには、大きく分けて
①ブランディングコピー ②ダイレクトマーケティングコピー
の、2種類があります。(説明は、割愛しちゃいます、、)
私は、②ダイレクトマーケティングコピー としてのコピーライターだったから、マーケィング要素を厳しく求められたの。
作業が多いし、締切に追われてる
そして、コピーライターって、とっても忙しい。(これは、会社によるのかな?)
いつも複数の案件を抱えているし、
コピーライターの作業は、コピー制作の他にも、たくさんあった。
コピーライターとは別に、クリエイティブディレクターというクリエイティブの責任者みたいな人がチームにいることもあるんだけど、
私の会社では、コピーライター兼クリエイティブディレクターだから、
デザイナーやコーダーさんなどのやり取り、クライアントとのやり取り、プレゼン資料の制作と、実際のプレゼンなど、
本当に、やる幅がとっても広かったの。(大きな組織の会社なら、作業が分担されているはず。多分…)
締切までに、コピーを完成させなきゃいけない。プラス、
「コーダーさんに、このことを伝えなきゃ」「デザイナーさんの作業が順調か確認しなきゃ」とか、
毎日多くのTO DOリスト。
だからずっと、心が落ち着いていない感覚。
仕事が終わっても、「今日締切のものは、提出したよね?」「今日のTODOリスト、全部片付けたよね?」って、リラックスできずにいた。
「自尊心」が傷つく
努力と比例して、良いコピーライターになれるわけでも、
経験として比例して、良いキャッチコピーが生まれるわけでもない。
どんなに頑張っても、良いキャッチコピーを書くことができずに、
自尊心がボロボロになることだって、しょっちゅう。
上司からダメ出しをされるたびに、
「私、コピーライターとしての才能ないのかな。ダメ人間なのかな」って思っちゃうし、
良いコピーができたところで、「プロだから当たり前でしょ」的に、褒めてもらえるわけでもない。
コピーライターに限らず言えることかもしれないんだけど、
努力がいつ実るのか分かりにくい職業って、精神的にはけっこう、ハードだよね。
心が、疲れて
そんな生活を続けていたら。
多分、心が、疲れちゃったんだと思う。
コピーライターの仕事にはやりがいがあったし、成長を実感できた時・クライアントに喜んでもらえた時はすごく嬉しかったんだけど、
「私、この人生で、幸せなのかな?」って、
ふと、疑問におもっちゃった。
私の幸せは、別のところにある?
20代の頃は、「天職に出逢えたら、幸せになれる」って信じてたの。
だから、天職だと思ったコピーライターの仕事に出逢えてからは、
辛いときがあってもしがみついて、
「これが私の幸せの道なんだ」って信じて疑わなかった。
でもね。
私の幸せは、別のところにあったみたい。
フィリピンでの1人旅をしたときに、
「もしかして、私の幸せって、
『”どんな場所”で、”どんな人”と、一緒に過ごすか』
なんじゃ、ないかな」って、
感じた瞬間があったの。
✍️「フィリピン一人旅で感じたこと」についてのブログは、こちらへ

好きを着て生きるのが、私の幸せだった
人それぞれ、幸せのカタチは違うと思うんだけど、
私の場合は、
マルタに移住して、大正解だったって思う。
マルタの環境が、私にとっても合ってる。
✍️「なぜ、”マルタ”を選んだのかについて」は、

そして、結果的に、”自分がやりたいこと” も、できるようになった。
このブログは、私のベイビーみたいな存在で、
誰からも怒られることなく、締切に迫られることもなく、言葉が出なくて頭を抱えることもなく、
自分が発信したいことを、自分の言葉で、自由に書くことができているから、
私に幸せを運んでくれる存在なの。
今では、ブログ発信の方が、私の”天職”だって、思えてる。
『自分の”好き”を着て生きるのが、私の幸せ』。
30代半ばの私は、いま強く、そう思ってる。
コメント
コメント一覧 (2件)
Chichiさん
まさかの早速リクエストに応えてくださってありがとうございます!嬉しいです。しかも仕事がめちゃくちゃ早くてびっくりです笑。私の方がついていけてなかったです。
コピーライターの仕事内容や経験について率直に語ってもらえてありがたいです。やはり、ふんわりした仕事のようで、実際にお仕事としてやるとなると、結構シビアでプレッシャーも強いお仕事なんですね・・。
以前クラウドソーシングから記事のタイトルを考える案件を受けたことがあったのですが、クライアントから良いと褒められたタイトルだったにも関わらず、いつの間にか修正されていて、モヤモヤした経験を思い出しました。
また、「職種とか何になるかよりも、あり方や自分らしくいられる環境の方が大事」というメッセージにも共感しました。1社応募しようか迷っていた会社があったのですが、自分の中でまだ腹落ちしていない部分があったので、もう少し考えてみようかなと思います!
これからも、Chichiさんのペースで発信を続けてくださると嬉しいです。
自分が頑張って考えた言葉を修正されると、モヤモヤしますよね
私もよく、勝手に修正されていました。
編集者の方って、忙しい方も多いので、
もしかすると、その方の上司から指摘を受け、Sakiさんへのフィードバックなしに修正をされたのかもしれないですね。(真実は分からないですが)
Sakiさんにとっての『合う環境』との出逢いがあること 心から応援しています!