”リスクを知り、それに備えること”
と
”無駄な心配すること”
は、
全く別のことだって、思ってる。
無駄に考えなくていい、悪いこと
マルタに移住する前、何人かの人から言われたことで、
「もし、仕事で失敗したらどうするの?」
とか、
「もし、ルームメイトと気が合わなかったら最悪だよね?」
とか、
「いい国って言われてるけど、思い込みしないほうがいいんじゃない?」
とか、
わたしは正直、とても嫌な気持ちになっちゃったの。
わざわざ気持ちが下げるのは、なぜ?
”何か問題が起こったときのケースについても、考えておいたほうがいい”
っていう考えには賛成だけど、
それは、
”その問題が起きたときに、きちんと対処できるために”考えておくべきことであって、
”気持ちを下げるために”やるものじゃないんじゃないかな?
落差があったって、いいじゃん
「悪いことについても考えておいたほうが、期待の落差が少ないから、いいでしょ?」
とも言われたんだけど、
それについても、本当にそうなの?
もし、いいことばかりを想像して、夢の国のような場所にたどり着けると思い込んでいる人がいたら、
「ちょっと待ってよ、人生ってそんなに甘くないよ」
って言葉がふさわしいと思うけど、
いろんな葛藤を乗り越えて、海外移住を決心した相手に対しては、
気持ちが前向きになるような、エールを送ってほしいって、思う。
マルタについたとき、悪いときのことばかりを想像した、負のオーラを放つ自分よりも、
期待に満ちて、キラキラ輝いている自分で、いたいんだもん。
合わなければ、帰ればいい
想像していた暮らしと違って、落胆することがあるってことも、わかってる。
でも、もしそうだとしたら、
それまで、だよね。
その国は、合わなかった。それだけ。
落胆すること自体は悪いことではないし、
”期待しすぎたから合わなかった”。なんてことも、ないでしょ?
自分に合わないと思ったら、さっさと日本に帰ればいいよ。
無駄な心配なんてせずに、
(起こりうるリスクや、リスクへの対処法を知っておくのは大切でと思うけど)
輝いた自分でマルタに到着できるように、着々と準備を進めていけば、いいんじゃないかな。
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