こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
日本人って、
「フラれる」ということに対して、
やけに”恥ずかしい”と思ってしまっているのでは?”
って、
あるイタリア人男性とのエピソードから、
そう感じることがあったの。
会社からの、タクシーで
それは、仕事が終わって、
会社が提供してくれたタクシーに乗って、家に帰るときでのこと。
6人くらいの同僚が同じタクシーに乗っていて、
あるイタリア人男性が、私の隣に座ったの。
初めて見る顔だったんだけど、
彼はすごく気さくで陽気なイタリア人で、
「今日はすごく疲れたよーー、君はどうだった?」
みたいなたわいもない質問から、
会話が始まった。
あれ、これ、ナンパ?
初めは、ただのフレンドリーな人で、雑談を楽しみたいのかなって思っていたら、
「パーティーは好き?今度一緒に行こうよ」
とか、
「一緒に飲みに行こう」
みたいな、
ちょっと口説きを匂わせるような会話に。
他の同僚もタクシーに乗ってるし、
会話は他の人にも丸聞こえのはずなのに、
「こんなに堂々と、口説いてくるかな?」
「いや、ただの、友達として誘っているのかな?」
って、
ここまではまだ、はっきりとは分からないでいた。
「彼氏いる?僕にチャンスはある?」
でも、これは、口説きだったみたい。
「彼氏、いるの?」
って聞かれて、
「いるよ」
って言ったら、
「どれくらい付き合ってるの?
僕にチャンス、ある?」
って聞かれたの。
「いや〜、彼のこと愛してるよ」
って言ったら、
「そっかぁ、じゃぁ来世でだね。約束ね」
って、
全く動じていない様子だった。
私だったら、「あ、彼氏いるんだ…」
って、ちょっと気まずくなってしまいそうなのに…
彼は本当に、尊敬しちゃうほどに、
全く動じていなくって、
そのあとも、
「君って、話してて楽しいし、ナイスに見える」
「僕も愉快な人だから、一緒いたらきっと楽しいよ。ジェントルマンだし」
って、
フラれたはずなのに、彼のテンションはまったく変わらない。
タクシーから降りるときには、
「君と話せてよかったよ、またね」
って、
気まずさなんて全くなく、
爽やかに、お別れをした。
アクションが早く、さっぱりのイタリア人
このイタリア人に限らず、
私がこれまで出会ったイタリア人男性はイタリア人って、
’いいな”と思った時点でのアクションがとんでもなく早くって、
そして、諦めるのも、とっても潔い。
そんなイタリア人を見て、
ちょっと考えさせらたのが、
”日本人て、
フラれることを極度に恐れすぎてるんじゃないかな?”
って、ことだったの。
他人に、”フラれた”と思われるのが恥ずかしい
私の過去を思い返すと、
例えば、学生時代の時は、
周りの友達に、自分の好きな人が誰なのかを知られるのでさえ、恥ずかしかった。
それは、もし、私が片思いだった場合、
そのことが、とっても恥ずかしいことだって、思っていたから。
告白するなんてことは、どんでもないことで、
告白は数回したことがあるけど、本当に本当に、緊張した。
社会人になって、バーとかで素敵な人を見かけたとしても、
フラれることが恥ずかしくて、声もかけられなかったしね。
”フラれた自分を、人に知られること”が、本当に恥ずかしいことだって思った。
ただ堂々と、自分の好意を伝え、
そして、フラれたとしても、別に気にする様子もないイタリア人を見て、
なんで私は、あんなに恥ずかしいって思ってしまっていたんだろう。
って、考えさせられたの。
ただ、合わなかっただけ
ちょっと思うのが、
日本人って、フラれることに対して、
”自分がダメだった、魅力が足りなかった”
みたいに捉えてしまうふしがないかな?
ってこと。
フラれるってことは、その人に”魅力がなかった”ことではなく、
ただ、”合わなかった” ってだけなのに、
なぜか日本では、フラれることが可哀想で、ダメなことのように感じてしまう。
本当は、違うよね。
フラれることって、全く恥ずかしいことじゃない。
自分の価値は、下がらない
「とにかく、少しでも気になれば、口説きにかかったほうがいい!」
と、言いたいわけではなく、
私たちはもう少し、
「”フラれる”ことに対しての羞恥心を、無くしてもいいんじゃないかな?」って、思ったの。
フラれることって、
「自分に魅力がなかった」
という証明ではない。
その人にとっての“好き”と、
自分にとっての“好き”が、
たまたま同じ方向を向かなかっただけ。
もしかしたら、
タイミングが違ったのかもしれない。
求めているものが違ったのかもしれない。
ただ、合わなかったのかもしれない。
それだけのこと。
そして、これは最近の恋愛についての記事でも書いてきたことなんだけど、
恋愛は、
相手に選ばれることだけじゃない。
私たちもまた、
「この人と一緒にいたいのか」
を選んでいる。
だから、
誰かに選ばれなかったからといって、
自分の価値が下がるわけじゃない。
「フラれたらどうしよう」より、「私はどうしたい?」
誰かに「NO」と言われたとしても、
自分自身まで否定されたわけじゃないから。
だから私はこれから、
「フラれたらどうしよう」よりも、
”「私はどうしたい?」”
を大切にしていきたいって、
思ったの。
いいなと思った人がいたら、
その気持ちを、恥ずかしがらずに、
大切にできる自分でいたい。
たとえその恋が、実らなかったとしてもね。
✍️イタリア人男性についての別ブログにも、遊びに来てね


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