こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
私の彼は道でよく、モノを拾ってくる。
「トランポリン拾ってきた」「BBQコンロ拾ってきた」「フライヤー拾ってきた」
って、嬉しそうに帰ってきたし、
彼の家にあるいくつかの棚や椅子も、拾ってきたもの。
一緒に道を歩いていてもよく、「あ、待って」って、
ボールなどの小さなもものでさえも「これ、使えるかな」って立ち止まるし、
ポスターの貼り紙や求人案内なんかを見つけては写真を撮ったりしてるの。
Chichiは、見てないもんね
「よくそんなに見つけてくるね」っていうと、
「Chichiは、何にも見てないよね」って、冗談混じりに笑われる。
確かにそうで、私は全然見ていない。
見ていないというか、彼と同じところに注意を向けていなくって、
歩いているときは、細かなところに焦点を当てるよりかは、全体的に景色を見ている。
または、何か考え事をしていることも多いかな。
「運」も、同じように
これを、「運」に例えると。
「運」って、ついている人だけにあるかのようなイメージがあるけど、
「運」は、誰のもとにも平等にあるもので、
気づけて、拾って、ものにできるか。次に繋げられるか、の違いで
「運がいい人」「運が悪い人」になっていくんなじゃないかなって、思ったの。
現に私は、同じ世界にいても、見ているものが違うせいで、
彼は拾うことができたモノを、私は拾えなかった。
アンテナの違いで
まぁ、このケースはね。
私は、道で何かを拾うことに対しては、全然興味がないから、いいんだけど。笑
”アンテナが向いてない”から、気づけなかった(気づかなくってよかった)とも、言える。
ただ、自分が興味のあるもの、手にしたいものに対しては、アンテナを張って生きないと、
せっかく訪れている「運」に気づけず、自分には「運」がないんだって、勘違いしちゃうんじゃないかな。
アンテナのおかげで
私の最近のアンテナは、”モデル業界”。
モデルとしてのキャリアを伸ばしたいって思っているから、
キャスティングやファッションショーの情報には常に、アンテナを張っている。
転職したい人は求人に目がいき、子どもが欲しい人は子育て情報が目に入り、カフェを開きたい人は素敵なお店を観察するのと同じように、
私はモデルの情報を取りにかかってるの。SNSをチェックしてね。
”モデル”のワードがあったり、そんな雰囲気が漂っていたら、私のアンテナが敏感になって立ち止まる。
実際、モデル経験ゼロの状態からマルタで少しずつ、モデルの仕事を増やせているのは、
「運」というよりかは、「アンテナ」のおかげかもしれない。
友達から話が舞い込んできた、一見「運」に見えるようなことでも、
元を辿れば、アンテナのおかげで拾えた何かから繋がったもので、
自分が見つけて、行動しなければ、繋がらなかったものだったから。
「運」がいいのでは、なく
周りの人から私は、「Chichiは、運がいいね」って思ってもらえることが多い。
とりわけ何かに秀でているわけでもない私が、
マルタに移住し、マルタでも色んなことに挑戦しているから。
私も、自分に対して「運がいい」って思ってるんだけど、
でもそれは、自分が特別な人間という意味じゃなくって、
誰の周りにもある「運」に対して、私は取りにかかれている人間なんだっていう自負と、
そして、全体的な「運」がいいということではなく、
”自分が興味のあること”については、「運」がいい。
投資で大儲けした。ギャンブルで買った。みたいな、お金の運はないし、
彼みたいな、道端で掘り出し物を見つける運も、持ってないしね。
そして、「運がいい」の中には、
たくさんの失敗や挫折があったし、諦めずに行動し続けた経緯があって、
挑戦し続けたからこそ、「私は、運がいいんだ」って思えるくらいまでになれた。(まだまだでは、あるんだけど)
私たちは、「運」がいい
私たちは、運がいい。
あとは、自分が欲しいものにアンテナを張って、
気づいて、
行動して、
繋げていくだけ。
運は待つものじゃなく、
拾いにいくものなんだって思う。
そしてきっとその先に、振り返ったときには、
「運がよかったね」って言われる人生に、なっているんだって思う。
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