誰かを本当に愛したとき。嫌われないためにつくっていた自分を、手放すことができる

こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼

 

10年以上も昔になるけど、

私が師匠のように慕っていた80歳くらいの方からもらった、

今でも大切にしている言葉があるの。

 

「自分らしくなるにはね。

”相手のために何ができるか”を考えて行動することだよ。

”嫌われないために”どうするか。じゃなくて」

 

その言葉の意味を、最近はもっと、深く感じていて、

それは、心の底から愛していると思える、今の彼氏と出会えたから。

 

彼のことを本気で”愛している”から、

”嫌われないために”じゃなくって、

”彼のために、何ができるか” を考えて行動していて、

 

彼と一緒にいることでもっともっと、

自分らしさが現れていることを感じているところなの。

”嫌われないために”行動したら

「他人から嫌われたくない」って思っちゃうのって、

自然なことではあるよね。

私たちは無意識だとしても、普段の日常生活では(特に、社会に出ると)、

”嫌われたくない” って思って行動することは、多い。

 

「あ、なんかこの人、上下関係に厳しそうだな」って感じたら、

いつも以上に言葉の選び方や行動を考慮するし、

「この人は、嫉妬深いな」って感じたとしたら、

自慢に聞こえてしまうかもしれないことは話さないようにして、必要以上に遜った言い方をしたりとか。

 

その時間って、すごく居心地が悪い。

自分の内から湧き出るかのような言動じゃなくって、

細かいことに神経を巡らせ、

自分を押し殺しているような感覚があって。

 

そのあとは、すごく疲れちゃったりしてね。

 

”嫌われないために” 行動するときって、

”自分らしさ” が失われている感覚がある。

”愛”からの行動は

”嫌われたくない”とかじゃなく、

人が、”愛”によって行動するとき。

 

そこには打算がないから、

すごく自分らしくて、居心地がいい。

 

例えば、私が彼氏と一緒にいるときは、

ただ、目の前にある幸せを感じているし、

そして、彼の幸せを、考えてる。

 

だから、

「こんなことして、嫌われたらどうしよう?」

「こんな行動をしたら、可愛いって思ってもらえるかな?」

みたいな考えはなくってね。

 

「大好きな彼が帰ってきたー。ハグをしたい」

とか、

「もうすぐ1周年記念だ!サプライズプレゼントを作ろうっ」

とか、

 

打算からではなく、

『愛』から行動が生まれてる。

 

「ハグして嫌われたら、どうしよう」っていう迷いはなし、

「ハグしたら、可愛いかな?」っていう打算もない。

 

考えて生まれた行動じゃなくって、

私の内から自然に出てきた、行動で、

 

相手を愛することによって、

嫌われないためにつくっていた自分を、手放すことができた。

子供の頃は、『愛』が全てだった

そういえば、私が子供の頃。

お母さんにはよく、抱っこをしてもらっていた。

 

3人兄弟の真ん中で、あまり構ってもらえる時間がなくて、

でも、お母さんの愛を自分も感じたかったから、

夜になるとつまらないことで泣いて、お母さんに抱っこしてもらっていたの。

 

サプライズプレゼントをするのも大好きな子で、

道で拾ってきたお花で冠を作ってプレゼントしたり、

メッセージ付きの似顔絵を描いたりして。

 

子供の私にとって、愛を示す&愛を受け取る行動が「ハグ」や「プレゼント」、または「言葉」で、

面白いことに、彼氏に対してやっていることも、ほとんど同じ。

 

子供の頃の方が今よりも、

打算はないし、自分らしく生きられていたよね。

”しない”ことも、自分らしさ

”しない”という行為も、

『愛』からだと、生まれることがある。

 

例えば、彼が腰を怪我しちゃったとき。

 

彼がなるべく安静にできるように、

ドリンクは常に用意し、お米をレンジでチンして腰を温めてあげたりしたんだけど、

 

でも、

「お医者さんに行かなきゃいけない。一緒にくる?」って言われたときは、

「1人で行ってきてね」って、

”しない”選択をした。

 

腰が痛くて1人で行けないのであれば付き添うんだけど、

1人で行ける状態ではあったし、

そのときの気分は、一緒に行きたい気分じゃなかったから。

 

”嫌われてくない” って気持ちがあったら、

無理して、付き添っていたんだろうけど。

 

「1人で行ってきてね」って言った私も、

自分らしかったと思う。

 

『愛しているから与える』。

でも、『自分を消すわけではない』の。

感情表現も、自分らしく

感情表現についても、

より素直に、自分の感情を表現できるようなってきている。

 

嬉しいことが起きたときには、全力で”嬉しい”って表現をするし、

むかついたことがあったときも、少しずつ、”怒り”や”苛立ち”みたいな負の感情を、彼の前で出せるようになってきた。

 

この前は、

彼が食事の後に「チョコレートを食べたい。これじゃ足りない」って言ったことに対して

少し、怒りの表現をした。

 

ポークのステーキを2枚も食べて、お腹はいっぱいの状態なのに、

「デザートが食べたい」って言われて、

 

「ダメ、いっぱい食べたじゃん?」って言ったんだけど、

「デザートは別腹、デザート食べたい」って、いつもみたいに駄々をこねるから、

「分かったよ、じゃぁ、チョコレートあげるね」

って、板チョコの2段目までちぎってあげたら、

「少なすぎる、板チョコの半分ちょうだい」って、本気のトーンで言われて、

それで、拗ねちゃった。笑

 

「私のチョコレートなのにーーー。半分は食べ過ぎーーー」

って、

本気の怒りじゃないけど、

「嫌だ」って思っていることを、全力で表現したの。

 

友達には見せれていない、私の姿。

 

そして、とっても気持ちよかった。

”他人に優しさを与えること”の価値

相手を愛することが、

”自分らしさ”を引き出すことに繋がっているって、

最近すごく、感じてるの。

 

そして、”自分らしさ”が引き出されると、

それってとっても気持ちがいいことだから、

そんな相手ともっと、一緒にいたくなる。

もっと、愛したくなる。

これって、とってもいい、プラスの循環だよね。

 

彼との間に生まれた愛から、私は、

”他人を愛すること”や、

”他人に優しさを与えること”の価値を、

前よりも深く、知ったように思う。

相手のために、私は何ができる?

相手の反応を気にして、

「嫌われないために、どうしよう?」

と考えて行動すると、

私たちは少しずつ、

自分を押し殺してしまう。

 

でも、

「相手のために、私は何ができるだろう?」

と考えるとき。

そこに、

 

”可愛いと思われたい”

”嫌われたくない”

という打算がなければ、

 

その行動は、

自分の内側から自然に生まれてくる。

 

そして、もしかしたら、それが

”自分らしさ”なのかもしれない。

 

子供の頃の私が、

大好きな人に抱きついたように。

拾ってきたお花で、冠を作ったように。

 

「自分らしくなるにはね。

”相手のために何ができるか”を考えて行動することだよ。

”嫌われないために”どうするか。じゃなくて」

 

80歳の師匠が教えてくれた言葉の意味を、

今になって、

少しだけ理解できるようになった気がするの。

 

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