マルタでは、愛のスタンダードを高くするの

高級なお肉しか食べていない人が、スーパーの安い肉を食べたら、

これはお肉じゃない!って感じるように、

 

わたしは最近、深い愛を知ったことで、たいていのもに対しては、

これは愛じゃない。本物じゃない。

って、思うようになっちゃったの。

愛のスタンダード

どういうものに対して”愛”、”愛情”と呼ぶかは、

人それぞれ、スタンダードが違うと思ってる。

 

”愛”って言葉が溢れているし、簡単に使えちゃうし、

でも、”愛”について深く考えたり、議論したりすることって、あんまりないじゃない?

 

これが”愛”だ。と思えば、

それは、その人にとって、”愛”になる。

これは、”愛”じゃなかった

わたしはけっこう、いろんなことについて深く考える人で、

”愛”についても、東京にいたときからよく、考えたいた。

 

これは、”愛”なのかな?

”愛”と呼べるような、呼べないような・・。

 

頭で考えても、よく、分からなかったの。

 

でも、マルタにきて、クリアになった。

 

ほとんどのものは、”愛”じゃなかったとおもう。

心で、学んだ

マルタにきて、ありがたいことに、たくさんの愛に満ちた人に出逢えた。

 

たぶん、日本人はちょっと、愛するスキルを、持っていないように感じてるの。

シャイな国民性とか、宗教とか、家族の成り方とか、

そういうものも関係していると思うんだけどね。

 

日本ではあまり感じることのなかった、あたたかい愛を、マルタでたくさん感じるようになって、

心で、「あ、これが、”愛”の感覚なのか」って、

ちょっとずつ、学ぶようになったの。

 

テニスの素振りを何回もしているうちに、

球の打ち方を、頭ではなく、感覚として覚えていくような、

あの、感覚。

スタンダードに達しない愛は、いらない

高い基準を知っちゃったら、

もう、そのスタンダードに達しないものは、いらないって思うようになっちゃった。

 

だって、フェイクに感じるし、

フェイクなものって、心地悪いよね?

 

自分の周りに、リアルなもの(人)だけを置いておくことは、

自分にも良い影響を与えるって、思ってる。

 

リアルに囲まれて生活することで、

自分もリアルに、なれるから。

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