こんにちは、マルタ在住のChichiです🌼
YouTubeチャンネル、「表現者クライテリオン」の動画を最近よく見ているんだけど、
そのチャンネルの中でたまたま視聴した動画をきっかけに、
最近少し、「死」についてを考えるようになった。
身近な人に「死」が訪れたとか、何かあったわけではないんだけどね。
でも私は、たまにふと、
「死」について考えて、怖くなることがある。
もし、私の愛する人に、何かあったとしたら…
自分がどんな絶望を抱き、そしてそこから立ち直れるのかを、
私は全く、想像できない。
「「夜と霧」に学ぶ、絶望の乗り越え方」
「死」についてを考えるようになったその動画は、
「「夜と霧」に学ぶ、絶望の乗り越え方」というタイトル。
「どうやって人は、絶望の中でも生きることができるのか?」
その要になるのは、
”『内面的な拠り所(自分を支える何か)』があるかどうか” である。
そして、その『内面的な拠り所(自分を支える何か)』というのは…
というポイントで語られている動画で、
その中で紹介された1つの事例が、
私に「死」について考えさせる、大きなきっかけとなったの。
愛する人との心の対話が、心の支えに
それが、
「愛する妻との内なる対話」が、
『内面的な拠り所(自分を支える何か)』になったという事例。
(実際には「死」を迎えた妻との対話ではないんだけど、私はその事例から、「死」についてを考えさせられた)
著者のフランクルは、厳しい強制収容所の中で、
別の収容所に送られている、会えない愛する妻と、心の中で対話をしていたらしいの。
そしてその対話が、彼に希望を与え、生き延びる力となった。
この事例を聞いたときにふと、
私の彼氏のことが頭に浮かんじゃって、
いつか…
愛する彼と会うことができない日々がやってきたとして…
そんなときに私は、
「彼とどんな、対話をするんだろうか」。
そして、
「彼との対話は、私にどんなふうに希望を与えてくれるんだろうか」。
みたいなことを、
考えさせられたの。
そばにいないとしても、
『愛する人の存在は、どんなふうに自分を支えてくれるのか?』…。
「彼との対話」が、私を支えてくれるとしたら
「こんないいニュースがあったよーー!」
→(彼氏)「グッドジョーーーブ!」
「こんな悲しいことがあった…」
→(彼氏)「よしよし」
私が困っていたら、きっと優しくおでこにキスをしてくれて、
私が泣いていたら、きっと強くハグをしてくれる。
そんな光景が浮かんできて、
「死」を想像してしまうと、
もちろんとてつもなく悲しい気持ちになるんだけど、
でも同時に、
私の心の中に少し、彼が生きているような感じがした。
彼の言葉や表情、優しさが、自分の中にも存在しているような感覚。
自分の中に残しておけるまでの、彼とのじかんを
こういった感覚が、
『内面的な拠り所(自分を支える何か)』
というものなのかもしれない。
動画を視聴して、「死」について考えた後、
「彼氏の存在を、もっと心の中に強く、刻みたいな」
っていうふうに、
彼との向き合い方が少し、変わったような気がしたの。
単に、一緒に過ごす時間を増やすとか、楽しい思い出を増やすとか、
そういうんじゃなくって、
彼の考え方、言葉、表情、優しさを、
自分の中に残しておけるまでに、
彼のことを理解し繋がれるじかんを、つくっていきたい。
私も彼氏も、まだ30代だし、元気なんだけどね。
でも、「死」について考えたことで、
”いまこの瞬間の”彼との向き合い方についてを
深く考えさせられることになった。
『誰かを愛すること』は、
その人と一緒にいる時間だけでなく、
『その人の言葉や優しさを、自分の中に受け継いでいくこと』
なのかもしれない。
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