マルタと比べて、日本人の方が『共感』してくれることが多いかも?

最近、失恋したの。

デートしていた相手がいたんだけど、「わたしのこと、好き?」って聞いたら

「好きだけど、恋人関係になるとは思わない」って、言われちゃったんだよね。

共感が、ほしい

こういうときって、共感がほしくない?

失恋の後って、すごく複雑な気持ちになるじゃない。

悲しいとか、落ち込みとか、

時には自分に自信を失ったり、前向きになれなかったり。

 

だから、周りから、「辛かったね」とか、「失恋の痛み、分かるよ」とか、

そういう言葉がほしい。

 

自分を理解してくれて、自分の側にいてくれる人がいる。って思えることが、

前に進む、力を与えてくれるから。

ヨーロッパ人は、男性脳?

男性脳は『結論』を求め、女性脳は『共感』を求める。

っていうような、コミュニケーションの違いがあるよね。

 

マルタに移住して思ったんだけど、ヨーロッパの女性は、男性脳のようなコミュニケーションの人が多いような気がしてるの。

 

『共感』じゃなくて、『結論』にフォーカスされることが多いんだよね。

 

今回失恋したときも、

「そんな男は良くないね。よかったじゃん」っていうような返し方を、友達からもらった。

『共感表現』が多い日本語

日本語の会話って、『共感表現』で成り立つことが多い気がしてる。

 

「へぇ〜」、「なるほど’」、「そうなんだ」、「そうだよね」とか、

本当にそう思っているかは置いておいて(笑)

相手が言ったことに対して、『共感表現』を使って返すことが、多くないかな?

 

日本人女性の会話って、

愚痴とか、不安なこととか、楽しみなことを言っては、

「わかる〜!」って共感し合って、その場を楽しむよね?

コミュニケーションの違いな、だけ

マルタに移住して、インターナショナルな友達が増えて、

『共感』してもらえることが、減ったような気がするんだよね。

 

正直、ちょっと、悲しいの。

わたしのことを理解してくれなかったような、気分になっちゃって。

 

でも、そうじゃ、ないんだよね。

 

きっと、コミュニケーションの、違いだけ。

 

実際、本当に共感してほしいときに共感してくれたり、力になってくれるのは、

インターナショナルな友達の方が、大きい気もしてるもん。

使い分けるか、伝えるか

『共感』してほしいんだ。って、相手に伝えるか、

それとも、『共感』がほしいときには、友達A。 結論がほしいときには、友達B。

みたいな感じで、使い分けるか。

 

どういう方法を取ったら、周りの人たちと良いコミュニケーションが取れるのかは、

わたしも今、模索中のところなんだけど

 

でも、少なくとも、相手が自分が求めている反応と違ったときには、

『コミュニケーションの違いなんだ』

って、認識することが、初めのステップなのかもしれないって、思ってる。

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